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【今日のことば】「人間とは強いて苦痛を求めるものであると一言に評してもよかろう」――夏目漱石 |
【解説】
夏目漱石が小説『吾輩は猫である』の中に綴ったことばである。小説中では、この場面、迷亭と独仙が床の間の前で対座して碁を打っている。猫の目から見ると、「広くもない四角な板を狭苦しく四角に仕切って、目が眩(くら)むほどごたごたと黒白の石をならべる。そうして勝ったとか、負けたとか、死んだとか、生きたとか、あぶら汗を流して騒いでいる」というわけ。
そして、猫はこんなふうに思う。「碁を発明したものは人間で、人間の嗜好が局面にあらわれるものとすれば、窮屈なる碁石の運命は、せせこましい人間の性質を代表しているといっても差支ない。人間の性質が碁石の運命で推知する事が出来るものとすれば、人間とは天空海闊の世界を、我からと縮めて、己れの立つ両足以外には、どうあっても踏み出せぬように小刀細工で自分の領分に縄張りをするのが好きなんだと断言せざるを得ない。人間とは強いて苦痛を求めるものであると一言に評してもよかろう」
猫が感じる囲碁の見方には、囲碁ファンからすればもちろん異論はあるだろう。碁盤の上に無限の宇宙を観ずる棋士もいる。漱石からしても、それは前段のたとえ話で、ほんとに書きたかったのは、「人間とは天空海闊の世界を、我からと縮めて」以下、掲出のことばに至る部分であろう。核兵器などという物騒なものをこしらえて国と国とがせめぎ合い、あるいはまた、ひとつの国の中で血みどろの内戦を延々と繰り広げ、次代を担う子供たちまで犠牲にする。人間とはなんと愚かなものであるのか。
そういえば、映画監督の黒澤明も、生前、創作ノートにこんなことを書きつけていた。「人間は幸せに生きることに頭を使うべきだ。ところが不幸になるために一生懸命頭を使っている。そのいい例が大量殺人兵器を作る競争をしている。そして地球を人間が生きていけない所にしようと骨を折っている。つまり自分がのっかっている木の枝を、ノコギリで切っているようなものだ。チンパンジーだって、そんなバカなことはしない」/先人たちの深い溜め息が聞こえるようだ。
●コスプレを強要され精神的苦痛
※このオサーン(↑)がコスプレ強要されたのかと思って興味津々だったが・・・チガッタw
●平井堅 『ノンフィクション』MUSIC VIDEO (Short Ver.)
♪~惰性で観てたテレビ消すみたいに 生きることを時々やめたくなる 人生は苦痛ですか?成功がすべてですか?~♪
コトバンク 苦痛
→『◆日本大百科全書(ニッポニカ)の解説・・・「苦痛」:生理的、心理的になんらかの損傷が与えられるときにおこる苦しみ・痛みの感覚あるいは状態。一般に苦痛は避けられるべきものであるが、あえて苦痛を求めることもある。すなわち精神分析では苦痛はかならずしも避けるべき不快とはみなさない。対象に苦痛を与えて満足を得るサディズムと対象から苦痛を与えられて満足を得るマゾヒズムがあり、両者をあわせてアルゴラグニー(苦痛嗜愛)という。[外林大作・川幡政道]「ハヴロック・エリス著、佐藤晴夫訳『性の心理2 愛と苦痛」(1995・未知谷)』
→『◆日本大百科全書(ニッポニカ)の解説・・・「苦痛」:生理的、心理的になんらかの損傷が与えられるときにおこる苦しみ・痛みの感覚あるいは状態。一般に苦痛は避けられるべきものであるが、あえて苦痛を求めることもある。すなわち精神分析では苦痛はかならずしも避けるべき不快とはみなさない。対象に苦痛を与えて満足を得るサディズムと対象から苦痛を与えられて満足を得るマゾヒズムがあり、両者をあわせてアルゴラグニー(苦痛嗜愛)という。[外林大作・川幡政道]「ハヴロック・エリス著、佐藤晴夫訳『性の心理2 愛と苦痛」(1995・未知谷)』