eiga.com 作品情報 『家に帰ると~』
昨日の『ミスター・ガラス』とは真逆。あまり前情報を入れずに、
そして余計な期待をせずに観るというのが、正しい映画鑑賞法なのか
もしれない。
■解説:2010年に「Yahoo!知恵袋」に投稿されて話題を呼び、ボーカロイドの初音ミクでオリジナル楽曲が制作されたほか、コミックエッセイ化など、さまざまなメディアに広がりをみせた、妻の「奇行」についての質問をもとにしたラブコメディ。結婚3年目のサラリーマンのじゅんが仕事から帰宅すると、玄関で妻のちえが血を流して倒れていた。じゅんはあわてて介抱するが、血はケチャップで、ちえは死んだふりをしていただけだった。妻はその理由は言わず、ただ笑うだけ。それ以来、ワニに食われる、銃で撃たれる、頭に矢が刺さっているなど、毎日のように死んだふりをする妻に、じゅんは呆れながらも徐々に不安を覚えるようになる。榮倉奈々と安田顕がダブル主演で夫婦役を演じ、「デトロイト・メタル・シティ」「神様はバリにいる」の李闘士男監督がメガホンを取る。
■スタッフ:/監督 李闘士男 /原作(作)K.Kajunsky /原作(漫画)ichida /脚本 坪田文 /企画プロデュース 宮前泰志 /音楽 安達練 /主題歌 チャントモンチー
■キャスト:榮倉奈々(加賀美ちえ) 安田顕(加賀美じゅん) 大谷亮平(佐野壮馬) 野々すみ花(佐野由美子) 浅野和之(蒲原) 品川徹(横山) 螢雪次朗(進一)
■作品データ:/製作年 2018年 /製作国 日本 /配給 KADOKAWA /上映時間 115分 /映倫区分 G
オフィシャルサイト
※ハードルをかなり下げて鑑賞。その結果、なかなか面白く感じた♪■スタッフ:/監督 李闘士男 /原作(作)K.Kajunsky /原作(漫画)ichida /脚本 坪田文 /企画プロデュース 宮前泰志 /音楽 安達練 /主題歌 チャントモンチー
■キャスト:榮倉奈々(加賀美ちえ) 安田顕(加賀美じゅん) 大谷亮平(佐野壮馬) 野々すみ花(佐野由美子) 浅野和之(蒲原) 品川徹(横山) 螢雪次朗(進一)
■作品データ:/製作年 2018年 /製作国 日本 /配給 KADOKAWA /上映時間 115分 /映倫区分 G
オフィシャルサイト
昨日の『ミスター・ガラス』とは真逆。あまり前情報を入れずに、
そして余計な期待をせずに観るというのが、正しい映画鑑賞法なのか
もしれない。
●予告編
※予告編のみの印象では、薄っぺら~いケータイ小説の丸パクリ
安易ストーリーかと勘ぐっていたが、、、なかなかどうして、よく
練られた脚本で感心すらさせられたよーぅ。
※予告編のみの印象では、薄っぺら~いケータイ小説の丸パクリ
安易ストーリーかと勘ぐっていたが、、、なかなかどうして、よく
練られた脚本で感心すらさせられたよーぅ。
Asahi Shimbun Digital 榮倉奈々&安田顕「生々しさがなくて、いそうでいない。思いやりある夫婦を演じました」映画『家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。』インタビュー
→『「家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。どういうことなのでしょうか?」――2010年「Yahoo!知恵袋」に投稿された質問が話題を集め、コミックエッセー化。そして榮倉奈々さん、安田顕さんW主演で実写映画化される。6月8日(金)から公開される映画『家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。』で2人が演じるのは、ちょっと風変わりな結婚3年目の夫婦だ。「家に帰ると榮倉奈々が死んだふりしてるんだから、そりゃ許しちゃうよね(笑)」と盛り上がる安田さんに、「安田さんは、普段から奥さんにとても感謝しています。心の中にそんな思いがあるのは素晴らしいなと思います」と榮倉さんが返しつつ、和やかな雰囲気でインタビューに答えてくれた。
主人公は、ちえとじゅんの結婚3年目の夫婦。ある日家に帰ると、妻のちえが死んだふりをして倒れていて、じゅんは腰を抜かして驚く。ちえは、笑いながら「驚きましたか? さあ、ご飯にしましょう」と夕飯の準備に取り掛かる。それからというもの、ちえは毎日死んだふりをしてじゅんの帰りを待つようになる。/榮倉「死んだふりをして夫の帰りを待つ妻…と聞くと、突拍子もないことをする妻と思う人が多いと思いますが、もしその一面しか見えない人だと誰も共感できないと思ったので、ちえさんが持つ、優しさや愛情、普遍的な部分を伝えられるように気をつけました。脚本を読んで、夫婦の普遍的なものがたくさん描かれているなと感じました。全て言葉で表現されているのではなく、行間や雰囲気から感じることが多かったです。監督とも、それほど役づくりについては話さなかったのですが、話し合ってできるものではないという気持ちがあったかもしれません」/安田「原作はすごく面白いなと思ったのですが、脚本を読ませていただいた時には、自分には面白みが理解できなかったです(笑)。字面だけだったのもありますが、どうしたら面白くなるんだろう? と考えたりもしました。でも完成した作品を見て、自分は読解力がなかったんだなと恥じてます(笑)。監督の李闘士男さんの世界観がちゃんと描かれてましたから。最近、バツイチの役が多いんですよね。でも、ウェディングドレスを着ると婚期が遅れると言いますから、バツイチ役をしていると、離婚しなくてもいいんじゃないかと思うんで、どんどんバツイチの役をやっていきたいと思います(笑)」
ちえの死んだふりは奇想天外。ナイフが胸に刺さっていたり、ワニに食べられたり。頭に矢が刺さっていることあるし、落ち武者やドラキュラになることも。死んだふり15変化は、楽しいだけでなく苦労もたくさんあったと振り返る。安田「僕が驚くシーンは、実はちえは目の前にいないまま撮影することもありました。榮倉さんが死んだふりの着替えに行っていて、誰もいないところで驚いた演技をするんですね」/榮倉「夏場で扮装によってはとても暑かったのもありました。撮影時の苦労が思い出されます(笑)。美術部さん、メイク部さん、衣装部さん、みなさんの努力や優しさへの感謝しかありません。安田さんがちえさんの死んだふりを見て、台本にはないリアクションを取ってくださった時もありましたよね? つい笑ってしまいました(笑)」/安田「何回も驚くシーンをやっていると投げやりになってしまって、アドリブで勝手に始めたんですよ。手持ち無沙汰だから(笑)。死んだふりが終わってから、2人で一緒に芝居できるのがすごく楽しかった。どちらかと言うと、お芝居好きだからさ(笑)。テーブルに向かうと前にいてくれる、それだけで楽しかったなぁ」「いそうでいない、生々しさのない夫婦」(安田さん)、「思いやりのある夫婦」(榮倉さん)と感じたという2人。少し風変わりなこの夫婦から、学ぶところも多くあったと語る。/榮倉「夫であるじゅんさんが大切な人だと理解して、大切なものをずっと大切にできる、シンプルで揺るぎない、ちえさんの姿勢が強くてうらやましいなと思いました。人って、つい欲深くなってしまうこともあると思います。 結婚して新しい場所に住むと不安ですし、いい環境を整えようとしてしまいますが、ちえさんは全てを受け入れて、その中で幸せを探している感じがしました。専業主婦で、死んだふりの仮装を作るのが趣味で、じゅんさんの帰りを待つ。そういう小さなことに、幸せを感じられる人でありたいと思いました」/安田「じゅんと僕の共通点は、あまりないですね。じゅんはきちんと夫婦に向き合っているようで、でも向き合っていない部分もある。前の奥さんから届いた郵便物を、パッと隠しちゃうこともあるから、おもんぱかっているところが違うのかな。でもじゅんは、優しいですよね。うらやましいのは、最後にちゃんと自分の気持ちを伝えられたことかな。芝居をしていると、芝居を超えた芝居というか、自分の中にあるものが出てきてしまう時もある。同僚役の大谷(亮平)さんとの居酒屋のシーンでは、本当に酒を飲みましたからね(笑)。そこでは本当の自分が出ているかもしれない(笑)」
毎日死んだふりをしているちえに対して、「なぜ死んだふりをするのか?」と疑問に思い、3年目の結婚生活に不安を感じるじゅん。劇中では、「夫婦は頑張らなくていい」「毎日一緒にいる中で知っていく」など、ちえのさりげないセリフが心に響く。榮倉「『頑張らなくていい』とはいえ、何もしなくていいということでもないのかなと思います。身近だからこそ、頑張らないといけない時もあるのかな、と……」/安田「僕は、ハムスターが走るみたいにずっとカラカラカラカラ空回りして頑張ってきたから。北海道の事務所の社長に、ずっと『今が頑張り時だよ~』って言われ続けて、『今頑張んなきゃ!』とずっと思ってるけど。気がついたら40半ばで、50過ぎても『今が頑張り時だよ~』って言われるのか? 死ぬまでそう言われるんじゃないかと想像するとゾッとするね(笑)。嫌になっちゃうこともある。頑張れって、言われるとムカッとこない? ちゃんと頑張ってるよ!と言いたくなるんだよね。“頑張る”=頑なに張ると言う意味だし……」/榮倉「そこまで深く受けとめなくていいんじゃないですか(笑)。私はあまり疑問に思いませんでしたが。逆に、安田さんがこれだけ考えてくださっていたので大丈夫だなという安心感がありました。でも安田さんは、疑問に思っていることもあったと思うのですが、現場では必ず『はい!』って言うんです」/安田「結局出ちゃってるんだよね、それが顔に(笑)。『今頑張れ!』って言われていない人は、パッと出てすぐに演技できちゃうんだよね。俺は、頑張ってるよ! って気持ちが顔に出ちゃってるんだよね」/ちえの過去や今の気持ちが明らかになるつれ、死んだふりをしている本音が分かり始める。「夫婦って何だろう?」「結婚した時は、どんな気持ちだっただろう?」と振り返ることで、かけがえのない日常、相手を思いやることの大切さなど、つい忘れてしまう大事なことを思い出すきっかけになる。2人がこの作品を通して考える“結婚”とは、どんなものだろうか。/安田「僕の人生の半分。人生を縦で割るか、横で割るかで変わってくるけどね(笑)」/榮倉「セリフにも『半分こできるからちょうどいい』とありましたね。他人同士が一緒に暮らすようになって、きれい事ばかりではないけれど、いろいろなことを分かち合わなくてはいけない。修行のようでもあるけれど、分かりたいと思うからそれが続くわけで、相手にそう思ってもらえることもありがたいですし、分かりたいと思わせてくれる人がいることもありがたいですね」/安田「こういう仕事をしていると、言いたいことや思ったことを一回腹の底に落として背中に回してからしゃべらなきゃいけない。夫婦は、お互いにそうする必要がないですもんね。でも我慢するところは我慢するし、譲るところは譲る。好きなことも話せる。しかもケンカもする、ささいなことでね。全部ひっくるめて、大切な存在ですよね」
結婚3年目、ちえとじゅんの夫婦は“死んだふり”をきっかけに、改めて互いを見つめ合い、気持ちを再確認する。榮倉さん安田さんにこの作品を通して思った理想の夫婦像について聞いてみた。榮倉「劇中で『さあ、ご飯にしましょう!』と切り替えるシーンがとても好きです。食べる=生きている、一緒に生活しているというのを肌で感じます。外食しようと思えば手軽にできてしまう今の時代に、ちゃんと食卓を囲んでいるのはいいですよね。そう考えると、いつまでも食卓を囲める夫婦はすてきだと思います。ご飯の後にテレビを見るのもいいけれど、ゆっくりのんびりと、ちえさんとじゅんさんのように何もない時間を過ごせるのはいいなと思いました」/安田「僕の理想は、長生きしつつ妻より先に死にたい。『幸せだったよ、ありがとう』と言いながら、先に死にたいね。残されるのは絶対嫌だな~。パンツも履けないんじゃないかな、どこにあるか分からないから。結局自分のことしか考えていないね(笑)。『ガンジー』って映画が好きでね。その中で、奥さんが先に亡くなっちゃうんだけど、その時、ガンジーが黙ってポトリと涙を落とすのね、ああいうの好きだなあ。理想は反対だけど、ガンジー夫婦みたいなのがいいよね。絶対暴力も振るわないし」/100組の夫婦がいれば、100通りの夫婦の姿がある。どの夫婦も出会って、育んで、ケンカをして、それぞれのストーリーを歩んで来た。『家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。』を見た後は、夫婦の小さなエピソードをふと思い出すように、あたたかな気持ちに満たされるはず。最後に、映画の見どころとメッセージをくれた。/安田「監督である李闘士男さんの世界観が全編にあふれています。ライトで説教臭くなく、映画館を出た後に、じんわり、さらっと大切な人について思いを持てる映画に仕上がっていると思います」/榮倉「人との関わりがあたたかくていいなと思う映画です。ちえさんとじゅんさんの夫婦はもちろん、親子も、ご近所付き合いも、それぞれがすてきで、いろいろな人の人生の奥行きを感じた気がします。メインは4人、2組の夫婦の話ですが、それ以外の人たちの人生も想像できる楽しさがあります。『結婚って、いいな』と思っていただけるとうれしいです」』
※主演の二人の達者さももちろんあると思う。でもそれ以上に、奇抜な
シーンと落ち着いたシーンの切り替えなど、構成がうまく出来ていたの
が大きいなー。
→『「家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。どういうことなのでしょうか?」――2010年「Yahoo!知恵袋」に投稿された質問が話題を集め、コミックエッセー化。そして榮倉奈々さん、安田顕さんW主演で実写映画化される。6月8日(金)から公開される映画『家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。』で2人が演じるのは、ちょっと風変わりな結婚3年目の夫婦だ。「家に帰ると榮倉奈々が死んだふりしてるんだから、そりゃ許しちゃうよね(笑)」と盛り上がる安田さんに、「安田さんは、普段から奥さんにとても感謝しています。心の中にそんな思いがあるのは素晴らしいなと思います」と榮倉さんが返しつつ、和やかな雰囲気でインタビューに答えてくれた。
主人公は、ちえとじゅんの結婚3年目の夫婦。ある日家に帰ると、妻のちえが死んだふりをして倒れていて、じゅんは腰を抜かして驚く。ちえは、笑いながら「驚きましたか? さあ、ご飯にしましょう」と夕飯の準備に取り掛かる。それからというもの、ちえは毎日死んだふりをしてじゅんの帰りを待つようになる。/榮倉「死んだふりをして夫の帰りを待つ妻…と聞くと、突拍子もないことをする妻と思う人が多いと思いますが、もしその一面しか見えない人だと誰も共感できないと思ったので、ちえさんが持つ、優しさや愛情、普遍的な部分を伝えられるように気をつけました。脚本を読んで、夫婦の普遍的なものがたくさん描かれているなと感じました。全て言葉で表現されているのではなく、行間や雰囲気から感じることが多かったです。監督とも、それほど役づくりについては話さなかったのですが、話し合ってできるものではないという気持ちがあったかもしれません」/安田「原作はすごく面白いなと思ったのですが、脚本を読ませていただいた時には、自分には面白みが理解できなかったです(笑)。字面だけだったのもありますが、どうしたら面白くなるんだろう? と考えたりもしました。でも完成した作品を見て、自分は読解力がなかったんだなと恥じてます(笑)。監督の李闘士男さんの世界観がちゃんと描かれてましたから。最近、バツイチの役が多いんですよね。でも、ウェディングドレスを着ると婚期が遅れると言いますから、バツイチ役をしていると、離婚しなくてもいいんじゃないかと思うんで、どんどんバツイチの役をやっていきたいと思います(笑)」
ちえの死んだふりは奇想天外。ナイフが胸に刺さっていたり、ワニに食べられたり。頭に矢が刺さっていることあるし、落ち武者やドラキュラになることも。死んだふり15変化は、楽しいだけでなく苦労もたくさんあったと振り返る。安田「僕が驚くシーンは、実はちえは目の前にいないまま撮影することもありました。榮倉さんが死んだふりの着替えに行っていて、誰もいないところで驚いた演技をするんですね」/榮倉「夏場で扮装によってはとても暑かったのもありました。撮影時の苦労が思い出されます(笑)。美術部さん、メイク部さん、衣装部さん、みなさんの努力や優しさへの感謝しかありません。安田さんがちえさんの死んだふりを見て、台本にはないリアクションを取ってくださった時もありましたよね? つい笑ってしまいました(笑)」/安田「何回も驚くシーンをやっていると投げやりになってしまって、アドリブで勝手に始めたんですよ。手持ち無沙汰だから(笑)。死んだふりが終わってから、2人で一緒に芝居できるのがすごく楽しかった。どちらかと言うと、お芝居好きだからさ(笑)。テーブルに向かうと前にいてくれる、それだけで楽しかったなぁ」「いそうでいない、生々しさのない夫婦」(安田さん)、「思いやりのある夫婦」(榮倉さん)と感じたという2人。少し風変わりなこの夫婦から、学ぶところも多くあったと語る。/榮倉「夫であるじゅんさんが大切な人だと理解して、大切なものをずっと大切にできる、シンプルで揺るぎない、ちえさんの姿勢が強くてうらやましいなと思いました。人って、つい欲深くなってしまうこともあると思います。 結婚して新しい場所に住むと不安ですし、いい環境を整えようとしてしまいますが、ちえさんは全てを受け入れて、その中で幸せを探している感じがしました。専業主婦で、死んだふりの仮装を作るのが趣味で、じゅんさんの帰りを待つ。そういう小さなことに、幸せを感じられる人でありたいと思いました」/安田「じゅんと僕の共通点は、あまりないですね。じゅんはきちんと夫婦に向き合っているようで、でも向き合っていない部分もある。前の奥さんから届いた郵便物を、パッと隠しちゃうこともあるから、おもんぱかっているところが違うのかな。でもじゅんは、優しいですよね。うらやましいのは、最後にちゃんと自分の気持ちを伝えられたことかな。芝居をしていると、芝居を超えた芝居というか、自分の中にあるものが出てきてしまう時もある。同僚役の大谷(亮平)さんとの居酒屋のシーンでは、本当に酒を飲みましたからね(笑)。そこでは本当の自分が出ているかもしれない(笑)」
毎日死んだふりをしているちえに対して、「なぜ死んだふりをするのか?」と疑問に思い、3年目の結婚生活に不安を感じるじゅん。劇中では、「夫婦は頑張らなくていい」「毎日一緒にいる中で知っていく」など、ちえのさりげないセリフが心に響く。榮倉「『頑張らなくていい』とはいえ、何もしなくていいということでもないのかなと思います。身近だからこそ、頑張らないといけない時もあるのかな、と……」/安田「僕は、ハムスターが走るみたいにずっとカラカラカラカラ空回りして頑張ってきたから。北海道の事務所の社長に、ずっと『今が頑張り時だよ~』って言われ続けて、『今頑張んなきゃ!』とずっと思ってるけど。気がついたら40半ばで、50過ぎても『今が頑張り時だよ~』って言われるのか? 死ぬまでそう言われるんじゃないかと想像するとゾッとするね(笑)。嫌になっちゃうこともある。頑張れって、言われるとムカッとこない? ちゃんと頑張ってるよ!と言いたくなるんだよね。“頑張る”=頑なに張ると言う意味だし……」/榮倉「そこまで深く受けとめなくていいんじゃないですか(笑)。私はあまり疑問に思いませんでしたが。逆に、安田さんがこれだけ考えてくださっていたので大丈夫だなという安心感がありました。でも安田さんは、疑問に思っていることもあったと思うのですが、現場では必ず『はい!』って言うんです」/安田「結局出ちゃってるんだよね、それが顔に(笑)。『今頑張れ!』って言われていない人は、パッと出てすぐに演技できちゃうんだよね。俺は、頑張ってるよ! って気持ちが顔に出ちゃってるんだよね」/ちえの過去や今の気持ちが明らかになるつれ、死んだふりをしている本音が分かり始める。「夫婦って何だろう?」「結婚した時は、どんな気持ちだっただろう?」と振り返ることで、かけがえのない日常、相手を思いやることの大切さなど、つい忘れてしまう大事なことを思い出すきっかけになる。2人がこの作品を通して考える“結婚”とは、どんなものだろうか。/安田「僕の人生の半分。人生を縦で割るか、横で割るかで変わってくるけどね(笑)」/榮倉「セリフにも『半分こできるからちょうどいい』とありましたね。他人同士が一緒に暮らすようになって、きれい事ばかりではないけれど、いろいろなことを分かち合わなくてはいけない。修行のようでもあるけれど、分かりたいと思うからそれが続くわけで、相手にそう思ってもらえることもありがたいですし、分かりたいと思わせてくれる人がいることもありがたいですね」/安田「こういう仕事をしていると、言いたいことや思ったことを一回腹の底に落として背中に回してからしゃべらなきゃいけない。夫婦は、お互いにそうする必要がないですもんね。でも我慢するところは我慢するし、譲るところは譲る。好きなことも話せる。しかもケンカもする、ささいなことでね。全部ひっくるめて、大切な存在ですよね」
結婚3年目、ちえとじゅんの夫婦は“死んだふり”をきっかけに、改めて互いを見つめ合い、気持ちを再確認する。榮倉さん安田さんにこの作品を通して思った理想の夫婦像について聞いてみた。榮倉「劇中で『さあ、ご飯にしましょう!』と切り替えるシーンがとても好きです。食べる=生きている、一緒に生活しているというのを肌で感じます。外食しようと思えば手軽にできてしまう今の時代に、ちゃんと食卓を囲んでいるのはいいですよね。そう考えると、いつまでも食卓を囲める夫婦はすてきだと思います。ご飯の後にテレビを見るのもいいけれど、ゆっくりのんびりと、ちえさんとじゅんさんのように何もない時間を過ごせるのはいいなと思いました」/安田「僕の理想は、長生きしつつ妻より先に死にたい。『幸せだったよ、ありがとう』と言いながら、先に死にたいね。残されるのは絶対嫌だな~。パンツも履けないんじゃないかな、どこにあるか分からないから。結局自分のことしか考えていないね(笑)。『ガンジー』って映画が好きでね。その中で、奥さんが先に亡くなっちゃうんだけど、その時、ガンジーが黙ってポトリと涙を落とすのね、ああいうの好きだなあ。理想は反対だけど、ガンジー夫婦みたいなのがいいよね。絶対暴力も振るわないし」/100組の夫婦がいれば、100通りの夫婦の姿がある。どの夫婦も出会って、育んで、ケンカをして、それぞれのストーリーを歩んで来た。『家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。』を見た後は、夫婦の小さなエピソードをふと思い出すように、あたたかな気持ちに満たされるはず。最後に、映画の見どころとメッセージをくれた。/安田「監督である李闘士男さんの世界観が全編にあふれています。ライトで説教臭くなく、映画館を出た後に、じんわり、さらっと大切な人について思いを持てる映画に仕上がっていると思います」/榮倉「人との関わりがあたたかくていいなと思う映画です。ちえさんとじゅんさんの夫婦はもちろん、親子も、ご近所付き合いも、それぞれがすてきで、いろいろな人の人生の奥行きを感じた気がします。メインは4人、2組の夫婦の話ですが、それ以外の人たちの人生も想像できる楽しさがあります。『結婚って、いいな』と思っていただけるとうれしいです」』
※主演の二人の達者さももちろんあると思う。でもそれ以上に、奇抜な
シーンと落ち着いたシーンの切り替えなど、構成がうまく出来ていたの
が大きいなー。
MANTANWEB 笑えてじんわり
→『ちえのバリエーション豊かな“死んだふり”には驚かされる。あるときはワニに食われ、あるときは名誉の戦死、またあるときは落ち武者……。果ては、「それ、死体じゃないじゃん」というものまで現れ、笑えるやらあきれるやら。そんなキテレツな夫の“出迎え方”をするちえが、とにかく愛らしく、演じる榮倉さんの、棒のようなコキコキした動きや屈託ない笑顔を見ているだけでうれしくなる。
かたや、死んだふりのちえをどう扱っていいか分からず、オロオロしながら付き合うじゅんからは、優しさがにじみ出ていて、演じるヤスケンさんが、なんともいえないおかしみを醸し出し、榮倉さんとの相性はぴったり。ささいだけれど琴線に触れる言葉も多く、とりわけ「人生は三つの坂でできている……」は名言だった。笑えて、じんわりして、夫婦関係について考えさせられる、なんともチャーミングな作品だ。(りんたいこ/フリーライター)』
※ワニのキャラクターが「じんわり」感を助長していたような。。。
→『ちえのバリエーション豊かな“死んだふり”には驚かされる。あるときはワニに食われ、あるときは名誉の戦死、またあるときは落ち武者……。果ては、「それ、死体じゃないじゃん」というものまで現れ、笑えるやらあきれるやら。そんなキテレツな夫の“出迎え方”をするちえが、とにかく愛らしく、演じる榮倉さんの、棒のようなコキコキした動きや屈託ない笑顔を見ているだけでうれしくなる。
かたや、死んだふりのちえをどう扱っていいか分からず、オロオロしながら付き合うじゅんからは、優しさがにじみ出ていて、演じるヤスケンさんが、なんともいえないおかしみを醸し出し、榮倉さんとの相性はぴったり。ささいだけれど琴線に触れる言葉も多く、とりわけ「人生は三つの坂でできている……」は名言だった。笑えて、じんわりして、夫婦関係について考えさせられる、なんともチャーミングな作品だ。(りんたいこ/フリーライター)』
※ワニのキャラクターが「じんわり」感を助長していたような。。。
スポーツ報知 榮倉奈々「やさしく裏切られますよ」
→『女優の榮倉奈々(30)が4日、都内で主演映画「家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。」(8日公開・李闘士男監督)の公開直前イベントに出席した。サラリーマンの加賀美じゅん(安田顕)が家に帰ると妻・ちえ(榮倉)が必ず死んだふりをしているという物語。ちえの“メッセージ”がカギになるコメディーだ。榮倉は「最初は衝撃でした」と回想。「タイトルからは想像出来ませんが、やさしく裏切られますよ」と紹介した。同作はこの日、所属事務所との契約が満了になった小出恵介(34)が出演予定だったが昨年、未成年女性との飲酒、淫行により代役に。この日のイベントでは小出の話題が出ることはなかった。』
※小出恵介の代役は、大谷亮平が務めたんだねーー。その件について
ちょっと掘り下げてみようか。。。
→『女優の榮倉奈々(30)が4日、都内で主演映画「家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。」(8日公開・李闘士男監督)の公開直前イベントに出席した。サラリーマンの加賀美じゅん(安田顕)が家に帰ると妻・ちえ(榮倉)が必ず死んだふりをしているという物語。ちえの“メッセージ”がカギになるコメディーだ。榮倉は「最初は衝撃でした」と回想。「タイトルからは想像出来ませんが、やさしく裏切られますよ」と紹介した。同作はこの日、所属事務所との契約が満了になった小出恵介(34)が出演予定だったが昨年、未成年女性との飲酒、淫行により代役に。この日のイベントでは小出の話題が出ることはなかった。』
※小出恵介の代役は、大谷亮平が務めたんだねーー。その件について
ちょっと掘り下げてみようか。。。
Kstyle 大谷亮平、小出恵介の代役で~
→『韓国でバラエティ番組、ドラマなどに出演して活躍した大谷亮平は、日本のヒットドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」などで高い人気を得ており、現在日本での活動に集中している。
大谷亮平は未成年者との飲酒等により芸能活動を無期限で停止している小出恵介のバトンを引き継ぎ、この映画に合流する。「家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。」は毎日死んだふりをして夫を迎える妻と、それを見守る夫のストーリーを描いたラブコメディだ。大谷亮平は、当初小出恵介が務める予定だった佐野役を務める。映画の関係者は「監督をはじめ、作品に関わったスタッフ・出演者の皆さんとも本作を観客に届けたいという想いは一致しており、また『劇場で観たい』『公開をやめないで欲しい』という声がSNS上で見受けられたり、配給会社にもそのような声が届いたことに勇気づけられ、多くの協力を得て、再撮影と再編集を実現させることができました」とコメントし、「今冬に必要部分を撮影し、2018年初夏の公開を目標としています」と明らかにした。』
→『韓国でバラエティ番組、ドラマなどに出演して活躍した大谷亮平は、日本のヒットドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」などで高い人気を得ており、現在日本での活動に集中している。
大谷亮平は未成年者との飲酒等により芸能活動を無期限で停止している小出恵介のバトンを引き継ぎ、この映画に合流する。「家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。」は毎日死んだふりをして夫を迎える妻と、それを見守る夫のストーリーを描いたラブコメディだ。大谷亮平は、当初小出恵介が務める予定だった佐野役を務める。映画の関係者は「監督をはじめ、作品に関わったスタッフ・出演者の皆さんとも本作を観客に届けたいという想いは一致しており、また『劇場で観たい』『公開をやめないで欲しい』という声がSNS上で見受けられたり、配給会社にもそのような声が届いたことに勇気づけられ、多くの協力を得て、再撮影と再編集を実現させることができました」とコメントし、「今冬に必要部分を撮影し、2018年初夏の公開を目標としています」と明らかにした。』
●「I Laugh You / チャットモンチー」 cover by ちひろ
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→『』
→『』
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→『』
→『』
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年度・団体【1993年・WWF】 |
カテゴリー【快挙】 |
見出し:『「ロイヤルランブル」に天龍源一郎が出場』 |
◎関連書籍、ニュース記事、試合動画、など。
●WWE Royal Rumble 1993 (バトルロイヤル開始は55分5秒~)
※地味に登場し、意外にあっさりとリングアウト退場・・・。
日刊SPA! 引退した天龍源一郎。“テンルー”と呼ばれるアメリカでの活躍とは?
→『“天龍”の英語の発音はテンルー。アメリカ英語には天龍源一郎の“龍RYU”という音がない。天龍はテンルーで、源一郎はゲニチロー。アメリカ人レスラーの多くは、リスペクトの気持ちをこめて天龍をグレート・テンルーと呼ぶ。(中略)/天龍は1990年(平成2年)5月、40歳で全日本プロレスを退団し、新団体SWS(スーパー・ワールド・スポーツ)に移籍。現役レスラーと団体プロデューサーのふたつの顔を持つようなった。SWSは同年10月、WWEとの業務提携を発表し、1991年(平成3年)3月と12月に2回、両団体の合同興行として東京ドーム大会をプロデュースした。しかし、メガネースーパーの資本力をバックに“新メジャー団体”としてうぶ声をあげたSWSは、発足からわずか2年1カ月後、親会社の撤退―活動休止という形でその短い歴史にピリオドを打ち、天龍は1992年(平成4年)7月、新団体WARを設立した。SWSの消滅でWWEとの業務提携もそのままフェードアウトするものと思われたが、WWEサイドはあくまでもテンルー個人との関係を尊重した。
これもまた、いまとなってはあまり語られることのないエピソードだが、天龍は翌1993年(平成5年)、WWEのPPVイベント“ロイヤルランブル93”(1月24日=カリフォルニア州サクラメント、アーコ・アリーナ)に単身出場。エントリーナンバーは9番で、試合開始のゴングから14分経過の時点でリングに上がり、27分29秒、アンダーテイカーにオーバー・ザ・トップロープで場外に落とされた。約13分間の出演シーンのなかで、天龍はリック・フレアー、テッド・デビアス、ジェリー・ローラー、バーサーカーらの胸板に“天龍チョップ”をぶちかました。
90年代前半、というよりも平成のプロレス界は“多団体時代”を迎えていた。1989年(平成元年)10月、大仁田厚がFMWを旗揚げし、90年にはSWSが発足。1991年(平成3年)1月には“第2次”UWFが解散し、プロフェショナル・レスリング藤原組(藤原喜明派=同年2月発足)、UWFインターナショナル(高田延彦派=同年2月発足)、リングス(前田日明派=同年3月発足)の3団体が誕生。SWSも92年6月の活動休止後、WAR、NOW、PWCの3派に分裂した。/WWEは、天龍を“細分化”した日本市場のキーパーソンととらえた。連続ドラマの登場人物ではない天龍の“ロイヤルランブル93”への出場はやや唐突な印象を与えたが、PPVのロケーションとなったサクラメントでは天龍、ビンス・マクマホン、パット・パターソン、ゴリラ・モンスーンらが出席してのトップ会談が実現した。“ロイヤルランブル93”開催から2日後(1月26日)、WWEはTVテーピングがおこなわれた同州フレズノで記者会見を開き、天龍=WARとの業務提携をアナウンスした。ビンスは、アントニオ猪木でもジャイアント馬場でもないジャパニーズ・プロモーターとのビジネスを求め、テンルーの大相撲出身という特異なバックグラウンドに興味を持った。
日本国内では、1993年3月に東北6県を活動エリアとする国内初のローカル団体、みちのくプロレスが誕生。4月には“伝説”となった全日本女子プロレスの創立25周年記念興行として『夢のオールスター戦』横浜アリーナ大会が開催された。4月18日、“プロレスの父”力道山の宿敵だった“柔道の鬼”木村政彦が死去(享年75)。5月に――のちにプロレスからMMAに派生していく土台となった――パンクラスが発足し、アメリカでは同年11月、“第1次”UFCが出現した。/天龍が“ミスター・プロレス”としての道を歩みはじめたのもこの年だった。 長州力とは2回対戦(新日本プロレスの1・4東京ドーム、4・6両国国技館)して1勝1敗。藤波辰爾との2度のシングルマッチ(新日本の9・26大阪城ホール、WARの12・15両国国技館)も1勝1敗。橋本真也(WARの6・17日本武道館)、蝶野正洋(WARの9・12幕張)とのシングルマッチは、いずれも天龍がフォール勝ちを収めた。
翌1995年(平成6年)の新日本1・4東京ドーム大会ではアントニオ猪木との初対決が実現し、天龍は十八番パワーボムで猪木を完全フォール。同年5月5日にはFMWの川崎球場大会で大仁田厚との“有刺鉄線金網電流爆破デスマッチ”がおこなわれ、天龍が大仁田を下した。この試合も“決まり手”はパワーボムだった。いずれもいまから20年もまえのできごとだが、オールドファン――たとえば筆者のような――にとっては、まるできのうのことのようでもある。』
※メガネスーパーがスポンサーだったSWSは長続きしなかった
テンルーさんだが、現役引退後はSNSで大活躍!こっちは長続
きしそうだぞ♪
→『“天龍”の英語の発音はテンルー。アメリカ英語には天龍源一郎の“龍RYU”という音がない。天龍はテンルーで、源一郎はゲニチロー。アメリカ人レスラーの多くは、リスペクトの気持ちをこめて天龍をグレート・テンルーと呼ぶ。(中略)/天龍は1990年(平成2年)5月、40歳で全日本プロレスを退団し、新団体SWS(スーパー・ワールド・スポーツ)に移籍。現役レスラーと団体プロデューサーのふたつの顔を持つようなった。SWSは同年10月、WWEとの業務提携を発表し、1991年(平成3年)3月と12月に2回、両団体の合同興行として東京ドーム大会をプロデュースした。しかし、メガネースーパーの資本力をバックに“新メジャー団体”としてうぶ声をあげたSWSは、発足からわずか2年1カ月後、親会社の撤退―活動休止という形でその短い歴史にピリオドを打ち、天龍は1992年(平成4年)7月、新団体WARを設立した。SWSの消滅でWWEとの業務提携もそのままフェードアウトするものと思われたが、WWEサイドはあくまでもテンルー個人との関係を尊重した。
これもまた、いまとなってはあまり語られることのないエピソードだが、天龍は翌1993年(平成5年)、WWEのPPVイベント“ロイヤルランブル93”(1月24日=カリフォルニア州サクラメント、アーコ・アリーナ)に単身出場。エントリーナンバーは9番で、試合開始のゴングから14分経過の時点でリングに上がり、27分29秒、アンダーテイカーにオーバー・ザ・トップロープで場外に落とされた。約13分間の出演シーンのなかで、天龍はリック・フレアー、テッド・デビアス、ジェリー・ローラー、バーサーカーらの胸板に“天龍チョップ”をぶちかました。
90年代前半、というよりも平成のプロレス界は“多団体時代”を迎えていた。1989年(平成元年)10月、大仁田厚がFMWを旗揚げし、90年にはSWSが発足。1991年(平成3年)1月には“第2次”UWFが解散し、プロフェショナル・レスリング藤原組(藤原喜明派=同年2月発足)、UWFインターナショナル(高田延彦派=同年2月発足)、リングス(前田日明派=同年3月発足)の3団体が誕生。SWSも92年6月の活動休止後、WAR、NOW、PWCの3派に分裂した。/WWEは、天龍を“細分化”した日本市場のキーパーソンととらえた。連続ドラマの登場人物ではない天龍の“ロイヤルランブル93”への出場はやや唐突な印象を与えたが、PPVのロケーションとなったサクラメントでは天龍、ビンス・マクマホン、パット・パターソン、ゴリラ・モンスーンらが出席してのトップ会談が実現した。“ロイヤルランブル93”開催から2日後(1月26日)、WWEはTVテーピングがおこなわれた同州フレズノで記者会見を開き、天龍=WARとの業務提携をアナウンスした。ビンスは、アントニオ猪木でもジャイアント馬場でもないジャパニーズ・プロモーターとのビジネスを求め、テンルーの大相撲出身という特異なバックグラウンドに興味を持った。
日本国内では、1993年3月に東北6県を活動エリアとする国内初のローカル団体、みちのくプロレスが誕生。4月には“伝説”となった全日本女子プロレスの創立25周年記念興行として『夢のオールスター戦』横浜アリーナ大会が開催された。4月18日、“プロレスの父”力道山の宿敵だった“柔道の鬼”木村政彦が死去(享年75)。5月に――のちにプロレスからMMAに派生していく土台となった――パンクラスが発足し、アメリカでは同年11月、“第1次”UFCが出現した。/天龍が“ミスター・プロレス”としての道を歩みはじめたのもこの年だった。 長州力とは2回対戦(新日本プロレスの1・4東京ドーム、4・6両国国技館)して1勝1敗。藤波辰爾との2度のシングルマッチ(新日本の9・26大阪城ホール、WARの12・15両国国技館)も1勝1敗。橋本真也(WARの6・17日本武道館)、蝶野正洋(WARの9・12幕張)とのシングルマッチは、いずれも天龍がフォール勝ちを収めた。
翌1995年(平成6年)の新日本1・4東京ドーム大会ではアントニオ猪木との初対決が実現し、天龍は十八番パワーボムで猪木を完全フォール。同年5月5日にはFMWの川崎球場大会で大仁田厚との“有刺鉄線金網電流爆破デスマッチ”がおこなわれ、天龍が大仁田を下した。この試合も“決まり手”はパワーボムだった。いずれもいまから20年もまえのできごとだが、オールドファン――たとえば筆者のような――にとっては、まるできのうのことのようでもある。』
※メガネスーパーがスポンサーだったSWSは長続きしなかった
テンルーさんだが、現役引退後はSNSで大活躍!こっちは長続
きしそうだぞ♪
【今日のことば】「いかなる芸術でも、その最後を決定するためには、創作者、演奏者の人格にまでもどらなければならない」―― |
【解説】
あらえびすの本名は野村長一(おさかず)。胡堂という号を持つ。すなわち、あの『銭形平次捕物控』の作者、野村胡堂のもうひとつのペンネームが、あらえびすなのである。
生まれは明治15年(1882)。盛岡中学では後輩の石川啄木に文学的影響を与えた。啄木が東京朝日新聞社の校正係に採用され、夏目漱石の同僚となるのは、明治42年(1909)のことだ。
野村長一は、ともかく少年時代から音楽好きで、結婚後もその趣味はつづき、集めたレコードは2万枚。『銭形平次捕物控』で作家として名の売れたのは48歳のときだから、むしろ「音楽暦」の方が長かった。したがって、自分では「私は音楽家でも音楽批評家でもない」としながらも、音楽に向き合う審美の耳と熱い情熱は他者に譲らない。掲出のことばの典拠となった著書『名曲決定版』も、古典的名著とされる。
文は人なり、とか、書は人なり、といったことばもあるが、音楽表現においても自ずと人格がにじみ出ると、あらえびすは語るのである。
●銭形平次 主題歌(舟木一夫)
・銭形平次は、1966年5月4日-1984年4月4日までフジテレビ系で毎週水曜
20時から放映されていた連続テレビ時代劇のタイトル。野村胡堂原作の
小説『銭形平次 捕物控』を大川橋蔵主演でTVドラマ化。当時の連続1時間
ドラマでは最長の888回という金字塔を打ち立てた!
・銭形平次は、1966年5月4日-1984年4月4日までフジテレビ系で毎週水曜
20時から放映されていた連続テレビ時代劇のタイトル。野村胡堂原作の
小説『銭形平次 捕物控』を大川橋蔵主演でTVドラマ化。当時の連続1時間
ドラマでは最長の888回という金字塔を打ち立てた!
※懐かしい主題歌!カラオケで歌いたいや~♪
●銭形平次捕物控 初姿銭形平次 八五郎手柄始め
紙芝居バ-ジョン 絵と朗読:萩柚月