◎最近のTVアニメ&特撮事情は、主に土曜日のNHK-FM「アニソン・アカデミー」
でしょこたんから教わるものが多い。本日はそのうちの2つをば・・・。
でしょこたんから教わるものが多い。本日はそのうちの2つをば・・・。
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●【魔法×戦士 マジマジョピュアーズ!最新話アニメ】
40話『誕生!?マジョカプリンセス』
・毎週日曜あさ9:00からテレビ東京系にて
毎週火曜夕方5:00からBSジャパンにて好評放送中!
タカラトミーチャンネルでは、毎週水曜日10時から一週間限定配信中♪
・・・中学校の入学式の日、不思議な力に導かれ、魔法戦士マジマジョピュ
アーズ!の一員になったモモカ。仲間とともに魔法を使って戦い、人々
の夢を奪う邪魔界に立ち向かっていく!合言葉は、きらめく魔法でピュ
アライズ!
40話『誕生!?マジョカプリンセス』
・毎週日曜あさ9:00からテレビ東京系にて
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・・・中学校の入学式の日、不思議な力に導かれ、魔法戦士マジマジョピュ
アーズ!の一員になったモモカ。仲間とともに魔法を使って戦い、人々
の夢を奪う邪魔界に立ち向かっていく!合言葉は、きらめく魔法でピュ
アライズ!
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●はたらく細胞OP
●はたらく細胞 ED
※OPもEDも、耳に残る優秀なテーマソングでしたわ!
※OPもEDも、耳に残る優秀なテーマソングでしたわ!
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年度・団体【1995年・全日本】 |
カテゴリー【名勝負】 |
見出し:『阪神淡路大震災直後の大阪大会。川田×小橋が60分フルタイム』 |
◎関連書籍、ニュース記事、試合動画、など。
●川田vs小橋@1995.1.19大阪府立体育会館
※小橋の逃げ芸が堪能できる試合。。。
ヤフーブログ 行き当たりばったりな人生続けてます 思い出の試合 ~ 95年1月19日 川田利明対小橋健太
→『95年1月17日、当時自分は関東在住。大地震発生のニュースに驚いたが、実はこの2日後休暇を取って大阪に行く計画を立てていた、目的は大阪府立体育会館で開催される全日本プロレスの試合を観るため。しかしながら、こんな大規模な災害が起こっては自分の薄っぺらい楽しみも何もあったもんじゃないと思える位に画面から伝わってくる状況は凄過ぎた。19日、テレビを見ていたら大阪までは新幹線が開通したとの報が流れ、全日本プロレスにも電話で尋ねたところ予定通り行うという返事、地元の人はプロレスどころじゃない様な状況なのに行っていいのだろうかという気持ちにもなったものの、結局不謹慎ながら自分の気持ちに正直に観に行くことにした。
新幹線の車内はカップヌードルやその他災害に遭われた方への支援物資らしき段ボールを抱えた人が多数、ダイヤが乱れまくってたので新大阪に着いた時は既に試合開始時刻の6時を回っていたが、新大阪から府立体育会館まで行くのにもいつも以上に時間がかかり、いつも人が溢れんばかりの電車の中も、難波の街もやけに人が少なかったのが印象的だった。府立体育会館についた時は既に後半の試合が行われていたが、観客は決して多くはないものの、特に震災の影響は感じられない位の入り、しかしいつもの様なプロレス会場らしい熱気は漲ってはいなかった。(ちなみに自分が観ていた場所の近くには当時のターザン山本週プロ編集長の姿が)8時を回った頃にメインの三冠ヘビー級タイトルマッチ、王者川田利明対挑戦者小橋建太の試合が始まったが、それでもなかなか盛り上がらない場内、そういう場内の雰囲気が序盤の試合内容にも反映されたかの様に両者の動きも固く見えた。しかし両選手は黙々と試合をし続けた、まるで何かに取り付かれたかの様に。
試合時間が過ぎていく、20分、30分・・・この両者はシングルで何度となく好勝負を繰り広げていたが、いつもの様な熱い試合展開ではない。しかしながら、「震災に沈む街を、人達を戦いを通して勇気づけよう」そういう思いは存分に伝わってくるかの様な試合だった。終盤大技ラッシュをかけた両選手だったが、どれも決め手にはならず、結局60分戦い抜いてドロー。試合後は両選手を讃える惜しみない拍手、歓声が鳴りやまない、涙を流している人も自分の周囲で1人や2人じゃなかった。震災に沈む街を、勇気づけるためにできる事は何か、それを川田、小橋の両選手は本当によく理解し、実践していた様で本当に頭の下がる思いだった。/試合後、出口では選手やスタッフが震災に遭った人達の為の募金活動を行っていたので、超微力ながらでも力になれればといくらか募金箱に入れた。酔っ払ったおっさんが涙ながらに「今日の試合はよかった、ありがとう」なんて叫びながら募金していた姿も記憶に残っている。』
→『95年1月17日、当時自分は関東在住。大地震発生のニュースに驚いたが、実はこの2日後休暇を取って大阪に行く計画を立てていた、目的は大阪府立体育会館で開催される全日本プロレスの試合を観るため。しかしながら、こんな大規模な災害が起こっては自分の薄っぺらい楽しみも何もあったもんじゃないと思える位に画面から伝わってくる状況は凄過ぎた。19日、テレビを見ていたら大阪までは新幹線が開通したとの報が流れ、全日本プロレスにも電話で尋ねたところ予定通り行うという返事、地元の人はプロレスどころじゃない様な状況なのに行っていいのだろうかという気持ちにもなったものの、結局不謹慎ながら自分の気持ちに正直に観に行くことにした。
新幹線の車内はカップヌードルやその他災害に遭われた方への支援物資らしき段ボールを抱えた人が多数、ダイヤが乱れまくってたので新大阪に着いた時は既に試合開始時刻の6時を回っていたが、新大阪から府立体育会館まで行くのにもいつも以上に時間がかかり、いつも人が溢れんばかりの電車の中も、難波の街もやけに人が少なかったのが印象的だった。府立体育会館についた時は既に後半の試合が行われていたが、観客は決して多くはないものの、特に震災の影響は感じられない位の入り、しかしいつもの様なプロレス会場らしい熱気は漲ってはいなかった。(ちなみに自分が観ていた場所の近くには当時のターザン山本週プロ編集長の姿が)8時を回った頃にメインの三冠ヘビー級タイトルマッチ、王者川田利明対挑戦者小橋建太の試合が始まったが、それでもなかなか盛り上がらない場内、そういう場内の雰囲気が序盤の試合内容にも反映されたかの様に両者の動きも固く見えた。しかし両選手は黙々と試合をし続けた、まるで何かに取り付かれたかの様に。
試合時間が過ぎていく、20分、30分・・・この両者はシングルで何度となく好勝負を繰り広げていたが、いつもの様な熱い試合展開ではない。しかしながら、「震災に沈む街を、人達を戦いを通して勇気づけよう」そういう思いは存分に伝わってくるかの様な試合だった。終盤大技ラッシュをかけた両選手だったが、どれも決め手にはならず、結局60分戦い抜いてドロー。試合後は両選手を讃える惜しみない拍手、歓声が鳴りやまない、涙を流している人も自分の周囲で1人や2人じゃなかった。震災に沈む街を、勇気づけるためにできる事は何か、それを川田、小橋の両選手は本当によく理解し、実践していた様で本当に頭の下がる思いだった。/試合後、出口では選手やスタッフが震災に遭った人達の為の募金活動を行っていたので、超微力ながらでも力になれればといくらか募金箱に入れた。酔っ払ったおっさんが涙ながらに「今日の試合はよかった、ありがとう」なんて叫びながら募金していた姿も記憶に残っている。』
【今日のことば】「上がった相場も、いつか下がるときがあるし、下がった相場も、いつかは上がるときがあるものさ」――勝海舟 |
【解説】
これは、経済市場における株価の話ではない。人物の評価についての話である。勝海舟はつづけて、
「その上がり下がりの時節も、長くて十年はかからないよ。それだから、自分の相場が下落したとみたら、じっとかがんでおれば、しばらくすると、また上がってくるものだ」「世間の相場はまあこんなものさ。その上がり下がり十年間の辛抱ができる人は、すなわち大豪傑だ」とも述べている。『氷川清話』より。
勝海舟の生涯も浮き沈みがあったが、それ以上に彼の身辺で毀誉褒貶が顕著だったのは、江戸城明け渡しに際し会談相手ともなった西郷隆盛だろう。
西郷は薩摩藩主・島津斉彬に可愛がられ頭目をあらわしながら、斉彬没後は島流しされるなどの憂き目にあう。復帰して戊辰戦争では討幕軍の中心的存在として活躍し、明治新政府の参議兼陸軍大臣ともなるが、西南戦争で逆賊に。それでも、庶民の人気は高く、明治天皇もひそかに信望を持ちつづけており、明治22年(1889)の大赦で復権した。平凡に見える誰しもの人生にも波はある。それを乗り切る辛抱が肝要ということだろう。
ちなみに、勝海舟は明治32年(1899)まで生きたが、夏目漱石にとってもどこかでひと時代前の歴史上の人物といった感覚があったらしく、明治44年(1911)に親戚の結婚披露宴の席上でその娘を見かけたとき、思ったよりも若々しく髪も黒々としているのに驚く一幕もあった。
●トリビアの泉「犬にキンタマを噛まれて勝海舟は死にそうになった
※笑いの基本は、緊張と緩和、ですな~~。
※ベッキーが「キンタマ」に反応している姿も、今となっては自然。
●NHK大河ドラマ 『勝海舟 op』
※この荘厳な楽曲は、『ノストラダムスの大予言』でお馴染みの冨田勲
さんが作曲を手掛けているようだ・・・。
※この荘厳な楽曲は、『ノストラダムスの大予言』でお馴染みの冨田勲
さんが作曲を手掛けているようだ・・・。