→『今回から装いも新たにスタートする「中川翔子のポップカルチャー・ラボ」。これまでのマンガの枠組みだけにとどまらず、アニメクリエイター、イラストレーター、ゲームクリエイター、声優など、日本が誇るポップカルチャーの領域で活躍している方々との、一対一のトークセッションをお届けしていく。リニューアル第一弾となる今回は、中川翔子本人の単独インタビューを実施。イラストの連載や、自身のブランド「mmts(マミタス)」のデザインまで手がける彼女の、クリエーターとしての側面に迫った。
─中川さんは、デビュー当時からクリエイターとしての活動もするつもりでしたか?/中川翔子(以下、中川):いやいや、「クリエーター」だなんておこがましいです……! ただ、私は子どもの頃から好きなことと興味のないことがハッキリ分かれていて(笑)。絵を描くこと、マンガを読むこと、ゲームをすること、猫がいること、一人でいることが好きで、それは今後も死ぬまでブレないと思うんですけど、「これ一本でやっていくぞ!」というふうには絞り切れなくて。「好き=お仕事」となれるとも思っていなかったから、芸能界というフィールドで自分がこうやって活動するなんて想像もしていませんでした。─10年くらい前から「しょこたん☆ぶろぐ」をちょくちょく読ませてもらっているのですが、そこで中川さんが綴っていた数々の夢が、次々と叶っていく様子を何度も目撃しました。/中川:「好きなことって、仕事にもなるんだ!」って本当に思いましたね。もう、夢が叶い過ぎてて怖いくらいです(笑)。例えばmmts(マミタス)というブランドは、BEAMSさんとコラボして5年目になります。これも「中野ブロードウェイでお店を開きたい」とか、「猫や宇宙など好きな絵を描きたい」とか、いろんな夢が一つになったんですよね。最近は、『深海魚展』がきっかけででハマったリュウグウノツカイや、初恋の相手だった木星を描きためていたら、それをデザイナーさんにブラッシュアップしていただき、なんと洋服の柄になったりして。─本当に、「好き」という気持ちが原動力なんですね。/中川:逆に。お金のこととか何にも考えてなかったんですよね。「これが好き!」ということを、とにかくすぐ言葉にして形に残しておくことが、何よりも大事なんだなって、20代の頃は本能的に感じていたんだと思います。その後、クリエイター界の大先輩や、レジェンドのような方々から話を聞くと、皆さん揃って「“好き!”“楽しい!”って思うことが何より大事」とおっしゃっていたので、間違ってなかったと思います、「ああ、やらなきゃ」とか「やらされてるんだ……」とか、ちょっとでもよぎったらいけない。─「好きこそ物の上手なれ」とも言いますしね。/中川:でも、今やっているドラマ「デイジー・ラック」の中で、自分が演じている讃岐ミチルちゃんが言うんですよ。「好きなことで食べていくって、簡単なことじゃないと思うよ」「体を壊したら終わりだし、必死に頑張ったってお金がたまらないかもしれない。何があっても自己責任だよ」って。まるで自分が言われてるような気持ちになりました(笑)。そんなこと少しも考えず、ここまでやってこられたのは本当にラッキーなんだなって思いました。
─リニューアル前の本連載では、衛藤ヒロユキさんや奥浩哉さんといった、中川さんにとって憧れの方たちと対談してきました。毎回、ゲストに対する中川さんのリスペクトがビシビシと伝わってきましたね。/中川:私にとって「ものづくりをする人」というのが最も尊く、憧れの存在なんです。もちろん自分でも「ものづくりが出来たらいいな」と思うんですけど、なかなか難しいですよね。突発的に浮かんできたアイデアを思いつくがまま描くことは出来ても、「さあ、今からイラストを描くぞ」と思って始めると大抵はうまくいかない。だから、プロのクリエイターさんってすごいなあと思うんですよね。気分とかそういうムラは一切なく、「描こう」と思って作り出したキャラクターで人を虜にしたり、多くのスタッフを雇ったりしているわけですよね。マンガやアニメ、ゲームが、人の青春や人生を動かしているのかと思うと、すごいことだなって思います。─小さい頃から絵を描くのは好きでしたか?/中川:好きでしたね。でも、大抵は何かの二次創作、模倣なんですよね。自分でオリジナルなものを作るのってすごく難しいことだと思います。とにかく、好きな作家さんの作品を模写するのが私はすごく好きで。模写をすると、より凄さが分かるんですよ。「この人はなぜ、ここにこんな線を描いたんだろう」とか、「この背景は、どこまでが手描きでどこからがデジタルなのかな」とか。いろいろ考えるし発見があるんですよね。絵でもメイクでも歌でも、最初はとにかく真似しまくります。そこから自分の味を出していく……。そんなふうに好きなことだけやってたら、気がつけばいろんな道につながっていったんです。─イラストを描くときの道具にはこだわってますか?/中川:最初に「漫画家の道具」みたいなものを買い集めたのは、「ドラクエ4コマ(ドラゴンクエスト 4コママンガ劇場)」に投稿した小学生の頃でしたね。それで、ちょっとしたコピー本を作って友達に配っていました(笑)。そのあと、少女漫画の通信講座に申し込んだら、Gペンの使い方とか教えてくれるビデオが付いてきて。それを観ながらスクリーントーンの貼り方、定規の使い方などを学んでいきましたね。道具でいえば、コピック(カラーマーカー)を集めていました。当時のお小遣いはコピックとスクリーントーンに消えていきましたね(笑)。18歳のとき、『映画秘宝』という雑誌にイラストを描く連載が始まって。そこでようやく、小学生の頃に買い集めた画材が役に立ちました(笑)。─そうだったんですね。/中川:しばらくアナログで描いていたのですが、途中からPhotoshopになって。でもタレント活動をしながらだったので、完全に自己流でしたけどね。「映画秘宝」とは別に、趣味でもPixivとかに投稿し始めるのですが、そのうち絵を描くツールもSAI、クリスタ(CLIP STUDIO PAINT)と変化していって。ただ、デジタルだと原画が残らないということに気づいてからは、まず鉛筆で作画し、それをハンディスキャナで読み取ってから、クリスタで色を塗るというやり方に変えました。─時代によって使う道具も変わってきたのですね。/中川:ロケに行ったり楽屋で待っていたりする時間が長かいので、「ここに画材道具を持ち込めたらいいのにな」ってずっと思っていたから、パソコン搭載型の液晶タブレットが出たときは本当にうれしかったですね。30万くらいしたし、ものすごく重たかったんですけど(笑)。で、やっと去年、iPad Proがでた。「遅いよ人類! やろうと思えばもっと早くできたんじゃないの?」って思ったけど(笑)、iPad Proのおかげでまた便利な世の中になりましたよね。『コロコロアニキ』の原稿は、無料のソフトで描いたんですが、トーンまで貼れるのでビックリしました。これが子どもの頃からあったら、絶対人生変わるんじゃないかな。そういう魔法のアイテムが、今はたくさんあります。
【たとえ二次創作でも、そこからまた何か新しいものが絶対に生まれる。】─中川さんのPixivアカウントには、すでに100点以上の投稿作品があります。/中川:昔、「ファンロード」という雑誌があったんですよ。オタク文化がもっと硬派で、リアルではあまり公言しづらかった時代のバイブルで、私も大好きでした。
毎号、優秀な投稿作品は、次の号ではセル画になって表紙を飾るっていうシステムがあって。まさにPixivの原型ですよね。そこに投稿されてたイラストのレベルがメチャクチャ高くて、プロも匿名で投稿していたんじゃないかと思ってたんですよ。とにかく、それを読むのが楽しくて、「こんな雑誌があるなら、友達が少なくても大丈夫、生きていける!」って。「ファンロード」に救われてましたね。それがあったのと、「しょこたん☆ぶろぐ」で好きなことを書き連ねてたことで、自分はポジティヴでいられたのだなって思います。─インターネットの力を感じますか?/中川:ネットがなかったら私、自分の好きなものを伝えられなかったし、いろんな夢が叶ってなかったと思います。「インターネットのおかげで自分という存在を知ってもらったり、いろんな人と出会ったりできるようになった」という感覚が、私以降の人たちにはあるんじゃないかなと。とにかく今は、誰もが夢を叶えやすい「地球のフィーバータイム」ですよね(笑)。─Pixivとか見ると、いわゆる「素人」でも異常に絵の上手い人とかいますよね。/中川:そういう人たちの作品も簡単に共有してくれるので、だんだん境目がなくなってきてますよね。「人類総クリエイター化状態」。ただ、ワクワクしている人の絵って、拙かったりしても魅力があるんですよ。「これ、すごく興奮して描いたんだろうな」と思わせる絵というか。人の魂って込められるし、デジタルでもちゃんと滲み出てくるから面白いですね。─「何でもいいから好きな絵を描いてください」ではなく、ある程度「しばり」や「制限」がある中で、何かものづくりをしたことはありますか?/中川:そういえば以前、ポケモン20周年でポケモンカードを描いたんです。「シェイミ」っていうポケモンをデザインした、バトルでも使えるカード。だから作画もある程度は決まっていたんですね、まつげの角度とか、黄色い丸いところはこんな形で〜とか。で、ラフを幾つか描いたなかから選んでもらったんですけど、そこからの指定もけっこう細かくあって。それ以外のところでいろいろ新しいことにチャレンジしてみようと思ったんですよ。例えば「厚塗り」という技を磨こうと。例えば「こんな色を忍ばせてみようかな」とか「表情をちょっと柔らかそうにしてみようかな」とか「ここにお花を足してみよう」とか。─制限の中でも、楽しさを見つけ出す工夫をすると。/中川:そう。それに、どれだけ制限や細かい指定があったとしても、その瞬間の自分の体調とか、その瞬間まで積み重ねてきた自分の何かがちゃんと出るんですよね。しかも、それが一生残って、それを手にした誰かの宝物になって、その子がまた何かを生み出すかもしれないと思ったら、なんか描きながら震えましたね(笑)。制限の中でもやれることって、メチャクチャあるんだなって気づきました。好きにダラダラ描くのとは違う面白さもあるし。─今日の取材場所は「東京アニメセンター in DNPプラザ」でした。もし、中川さんがこのスペースを使って「講座」を行うとしたら、どんな内容がいいですか?/中川:そ、そんな、人に教えるなんて偉そうなマネはできない!!(笑)……でも、例えば小学生の子どもにだったら、デジタルのお絵描きの仕方とか。一緒に描きながら教えるのは大好きなので、そういうのはやってみたいですね。デジタルでのお絵かきは、本当にワクワクします。クリスタって、ユーザーが作ったオリジナルのペンやブラシ、トーン、背景などがクラウドに上がってて、自由にダウンロードして使っていいんですよ。私もそれをありがたくダウンロードして使っているんですけど、液晶に描いた線が、子どもの頃に夢見ていたアニメと同じタッチになるんですよ? そのドキドキ感、ワクワク感は、なるべく小さいときから知るべきなんじゃないかって。たとえ二次創作でも、そこからまた何か新しいものが絶対に生まれるから。デジタルで自由に描ける環境は、本当にここ10年で手にした幸せな気がする。いいなあ、今の子どもたちは。そこが出発点なんですもんね。
─ところで最近は舞台に出演するなど、ますます活動の幅を広げていますね。/中川:私って、何をしている人間なのか、見る人によって全然違うんじゃないかと思っていて(笑)。でも、それって本当に幸せなことなんだなって、最近はつくづく思います。毎日違うことができるのもありがたいことですし。ただ、それだと何をやっても中途半場で、一つひとつが薄くなっちゃうんじゃないか、と30代になってから思うようになったんですよね。「それではいかん!」と。例えば舞台だとか、自分が今まで苦手だと思っていた分野にも挑戦しようかなと思っているところです。それも、台本に書いてあることだけを演じるのではなく、役に憑依することによって、その人の生き方まで理解して演じられるようにしたい。─例えば舞台のような、苦手と思っていたことをどうやって克服したのですか?/中川:その時間をゲームみたいに考えると、やり甲斐が出るかも知れないです。本当に舞台とか出るの、 不安だった んですよ。まだそんなに仲良くなっていない人と一緒に長い時間、初めての舞台に挑戦するなんて恐ろしいって(笑)。でも、それを無事乗り越えたときの「経験値上がった感」が半端なくて。─例えば?/中川:体調をキープするために料理を覚えたり、コミュニケーションすることで、またさらに新しい出会いにつながったり。知らなかったことを覚えるのって、なんだかドラクエみたいじゃないですか?(笑) 人と出会って経験値が上がって、上がったからこそクリアできて。それを乗り越えたら、「今度はドラマ出演を獲得した!」みたいな。「あ、そっか。人生ってRPGじゃん?」って思えたら、かなり楽になりましたね。ゲームを作ってくださったクリエイターの皆さんには、そういう意味でも感謝しかないです。─東京オリンピックに向けて。/中川:先日、東京2020オリンピック、パラリンピックのマスコットデザイン審査に参加させていただいて。決まった案については、審査会議の中でもいろいろバトルはあったんですけど、今の日本を象徴するような、可愛くてシャープなカッコよさが詰まった案に決まってうれしかったですね。生まれたところからずっと見守れたというのも、一生の宝物だし誇りになるなと。キャラクターが着ぐるみになったりアニメになったりして、いろんなところで活躍してくれるのが楽しみです。それを観てから死にたい(笑)。─今気になっているクリエイター、話してみたい人は?/中川:いっぱいいますね。うーん……。作詞家、作曲家、アニメーション制作や、アーティストさんでジャケ写を自分で描いちゃう人。絵を描く人のお話を特に聞きたい。私が生きていく上で必要な栄養素の三本柱をあげるとしたら、絵を描くことがそこには絶対入ってくると思うので。尊敬する世界ですね。─最後に、中川さんにとってイラストを描くことの楽しさを教えてください。/中川:自分にとってイラストは、「ストレス発散」と「精神統一」なんですよね。逆に言えば、絵を描いているときって心身ともに元気な証。なんか、絵でも文でも、形に残すことって大切な気がします。心の整理整頓でもありますし。絵を載せたり、呟いたり。有名人だからとか関係なくやるべきだと思います。もちろん、誰かをディスったり、あまりにもネガティヴな表現でなければ、発信するってとっても素敵なこと。やればやるほどいい気がしますね。よし、私ももっと絵を描こうっと。』
─中川さんは、デビュー当時からクリエイターとしての活動もするつもりでしたか?/中川翔子(以下、中川):いやいや、「クリエーター」だなんておこがましいです……! ただ、私は子どもの頃から好きなことと興味のないことがハッキリ分かれていて(笑)。絵を描くこと、マンガを読むこと、ゲームをすること、猫がいること、一人でいることが好きで、それは今後も死ぬまでブレないと思うんですけど、「これ一本でやっていくぞ!」というふうには絞り切れなくて。「好き=お仕事」となれるとも思っていなかったから、芸能界というフィールドで自分がこうやって活動するなんて想像もしていませんでした。─10年くらい前から「しょこたん☆ぶろぐ」をちょくちょく読ませてもらっているのですが、そこで中川さんが綴っていた数々の夢が、次々と叶っていく様子を何度も目撃しました。/中川:「好きなことって、仕事にもなるんだ!」って本当に思いましたね。もう、夢が叶い過ぎてて怖いくらいです(笑)。例えばmmts(マミタス)というブランドは、BEAMSさんとコラボして5年目になります。これも「中野ブロードウェイでお店を開きたい」とか、「猫や宇宙など好きな絵を描きたい」とか、いろんな夢が一つになったんですよね。最近は、『深海魚展』がきっかけででハマったリュウグウノツカイや、初恋の相手だった木星を描きためていたら、それをデザイナーさんにブラッシュアップしていただき、なんと洋服の柄になったりして。─本当に、「好き」という気持ちが原動力なんですね。/中川:逆に。お金のこととか何にも考えてなかったんですよね。「これが好き!」ということを、とにかくすぐ言葉にして形に残しておくことが、何よりも大事なんだなって、20代の頃は本能的に感じていたんだと思います。その後、クリエイター界の大先輩や、レジェンドのような方々から話を聞くと、皆さん揃って「“好き!”“楽しい!”って思うことが何より大事」とおっしゃっていたので、間違ってなかったと思います、「ああ、やらなきゃ」とか「やらされてるんだ……」とか、ちょっとでもよぎったらいけない。─「好きこそ物の上手なれ」とも言いますしね。/中川:でも、今やっているドラマ「デイジー・ラック」の中で、自分が演じている讃岐ミチルちゃんが言うんですよ。「好きなことで食べていくって、簡単なことじゃないと思うよ」「体を壊したら終わりだし、必死に頑張ったってお金がたまらないかもしれない。何があっても自己責任だよ」って。まるで自分が言われてるような気持ちになりました(笑)。そんなこと少しも考えず、ここまでやってこられたのは本当にラッキーなんだなって思いました。
─リニューアル前の本連載では、衛藤ヒロユキさんや奥浩哉さんといった、中川さんにとって憧れの方たちと対談してきました。毎回、ゲストに対する中川さんのリスペクトがビシビシと伝わってきましたね。/中川:私にとって「ものづくりをする人」というのが最も尊く、憧れの存在なんです。もちろん自分でも「ものづくりが出来たらいいな」と思うんですけど、なかなか難しいですよね。突発的に浮かんできたアイデアを思いつくがまま描くことは出来ても、「さあ、今からイラストを描くぞ」と思って始めると大抵はうまくいかない。だから、プロのクリエイターさんってすごいなあと思うんですよね。気分とかそういうムラは一切なく、「描こう」と思って作り出したキャラクターで人を虜にしたり、多くのスタッフを雇ったりしているわけですよね。マンガやアニメ、ゲームが、人の青春や人生を動かしているのかと思うと、すごいことだなって思います。─小さい頃から絵を描くのは好きでしたか?/中川:好きでしたね。でも、大抵は何かの二次創作、模倣なんですよね。自分でオリジナルなものを作るのってすごく難しいことだと思います。とにかく、好きな作家さんの作品を模写するのが私はすごく好きで。模写をすると、より凄さが分かるんですよ。「この人はなぜ、ここにこんな線を描いたんだろう」とか、「この背景は、どこまでが手描きでどこからがデジタルなのかな」とか。いろいろ考えるし発見があるんですよね。絵でもメイクでも歌でも、最初はとにかく真似しまくります。そこから自分の味を出していく……。そんなふうに好きなことだけやってたら、気がつけばいろんな道につながっていったんです。─イラストを描くときの道具にはこだわってますか?/中川:最初に「漫画家の道具」みたいなものを買い集めたのは、「ドラクエ4コマ(ドラゴンクエスト 4コママンガ劇場)」に投稿した小学生の頃でしたね。それで、ちょっとしたコピー本を作って友達に配っていました(笑)。そのあと、少女漫画の通信講座に申し込んだら、Gペンの使い方とか教えてくれるビデオが付いてきて。それを観ながらスクリーントーンの貼り方、定規の使い方などを学んでいきましたね。道具でいえば、コピック(カラーマーカー)を集めていました。当時のお小遣いはコピックとスクリーントーンに消えていきましたね(笑)。18歳のとき、『映画秘宝』という雑誌にイラストを描く連載が始まって。そこでようやく、小学生の頃に買い集めた画材が役に立ちました(笑)。─そうだったんですね。/中川:しばらくアナログで描いていたのですが、途中からPhotoshopになって。でもタレント活動をしながらだったので、完全に自己流でしたけどね。「映画秘宝」とは別に、趣味でもPixivとかに投稿し始めるのですが、そのうち絵を描くツールもSAI、クリスタ(CLIP STUDIO PAINT)と変化していって。ただ、デジタルだと原画が残らないということに気づいてからは、まず鉛筆で作画し、それをハンディスキャナで読み取ってから、クリスタで色を塗るというやり方に変えました。─時代によって使う道具も変わってきたのですね。/中川:ロケに行ったり楽屋で待っていたりする時間が長かいので、「ここに画材道具を持ち込めたらいいのにな」ってずっと思っていたから、パソコン搭載型の液晶タブレットが出たときは本当にうれしかったですね。30万くらいしたし、ものすごく重たかったんですけど(笑)。で、やっと去年、iPad Proがでた。「遅いよ人類! やろうと思えばもっと早くできたんじゃないの?」って思ったけど(笑)、iPad Proのおかげでまた便利な世の中になりましたよね。『コロコロアニキ』の原稿は、無料のソフトで描いたんですが、トーンまで貼れるのでビックリしました。これが子どもの頃からあったら、絶対人生変わるんじゃないかな。そういう魔法のアイテムが、今はたくさんあります。
【たとえ二次創作でも、そこからまた何か新しいものが絶対に生まれる。】─中川さんのPixivアカウントには、すでに100点以上の投稿作品があります。/中川:昔、「ファンロード」という雑誌があったんですよ。オタク文化がもっと硬派で、リアルではあまり公言しづらかった時代のバイブルで、私も大好きでした。
毎号、優秀な投稿作品は、次の号ではセル画になって表紙を飾るっていうシステムがあって。まさにPixivの原型ですよね。そこに投稿されてたイラストのレベルがメチャクチャ高くて、プロも匿名で投稿していたんじゃないかと思ってたんですよ。とにかく、それを読むのが楽しくて、「こんな雑誌があるなら、友達が少なくても大丈夫、生きていける!」って。「ファンロード」に救われてましたね。それがあったのと、「しょこたん☆ぶろぐ」で好きなことを書き連ねてたことで、自分はポジティヴでいられたのだなって思います。─インターネットの力を感じますか?/中川:ネットがなかったら私、自分の好きなものを伝えられなかったし、いろんな夢が叶ってなかったと思います。「インターネットのおかげで自分という存在を知ってもらったり、いろんな人と出会ったりできるようになった」という感覚が、私以降の人たちにはあるんじゃないかなと。とにかく今は、誰もが夢を叶えやすい「地球のフィーバータイム」ですよね(笑)。─Pixivとか見ると、いわゆる「素人」でも異常に絵の上手い人とかいますよね。/中川:そういう人たちの作品も簡単に共有してくれるので、だんだん境目がなくなってきてますよね。「人類総クリエイター化状態」。ただ、ワクワクしている人の絵って、拙かったりしても魅力があるんですよ。「これ、すごく興奮して描いたんだろうな」と思わせる絵というか。人の魂って込められるし、デジタルでもちゃんと滲み出てくるから面白いですね。─「何でもいいから好きな絵を描いてください」ではなく、ある程度「しばり」や「制限」がある中で、何かものづくりをしたことはありますか?/中川:そういえば以前、ポケモン20周年でポケモンカードを描いたんです。「シェイミ」っていうポケモンをデザインした、バトルでも使えるカード。だから作画もある程度は決まっていたんですね、まつげの角度とか、黄色い丸いところはこんな形で〜とか。で、ラフを幾つか描いたなかから選んでもらったんですけど、そこからの指定もけっこう細かくあって。それ以外のところでいろいろ新しいことにチャレンジしてみようと思ったんですよ。例えば「厚塗り」という技を磨こうと。例えば「こんな色を忍ばせてみようかな」とか「表情をちょっと柔らかそうにしてみようかな」とか「ここにお花を足してみよう」とか。─制限の中でも、楽しさを見つけ出す工夫をすると。/中川:そう。それに、どれだけ制限や細かい指定があったとしても、その瞬間の自分の体調とか、その瞬間まで積み重ねてきた自分の何かがちゃんと出るんですよね。しかも、それが一生残って、それを手にした誰かの宝物になって、その子がまた何かを生み出すかもしれないと思ったら、なんか描きながら震えましたね(笑)。制限の中でもやれることって、メチャクチャあるんだなって気づきました。好きにダラダラ描くのとは違う面白さもあるし。─今日の取材場所は「東京アニメセンター in DNPプラザ」でした。もし、中川さんがこのスペースを使って「講座」を行うとしたら、どんな内容がいいですか?/中川:そ、そんな、人に教えるなんて偉そうなマネはできない!!(笑)……でも、例えば小学生の子どもにだったら、デジタルのお絵描きの仕方とか。一緒に描きながら教えるのは大好きなので、そういうのはやってみたいですね。デジタルでのお絵かきは、本当にワクワクします。クリスタって、ユーザーが作ったオリジナルのペンやブラシ、トーン、背景などがクラウドに上がってて、自由にダウンロードして使っていいんですよ。私もそれをありがたくダウンロードして使っているんですけど、液晶に描いた線が、子どもの頃に夢見ていたアニメと同じタッチになるんですよ? そのドキドキ感、ワクワク感は、なるべく小さいときから知るべきなんじゃないかって。たとえ二次創作でも、そこからまた何か新しいものが絶対に生まれるから。デジタルで自由に描ける環境は、本当にここ10年で手にした幸せな気がする。いいなあ、今の子どもたちは。そこが出発点なんですもんね。
─ところで最近は舞台に出演するなど、ますます活動の幅を広げていますね。/中川:私って、何をしている人間なのか、見る人によって全然違うんじゃないかと思っていて(笑)。でも、それって本当に幸せなことなんだなって、最近はつくづく思います。毎日違うことができるのもありがたいことですし。ただ、それだと何をやっても中途半場で、一つひとつが薄くなっちゃうんじゃないか、と30代になってから思うようになったんですよね。「それではいかん!」と。例えば舞台だとか、自分が今まで苦手だと思っていた分野にも挑戦しようかなと思っているところです。それも、台本に書いてあることだけを演じるのではなく、役に憑依することによって、その人の生き方まで理解して演じられるようにしたい。─例えば舞台のような、苦手と思っていたことをどうやって克服したのですか?/中川:その時間をゲームみたいに考えると、やり甲斐が出るかも知れないです。本当に舞台とか出るの、 不安だった んですよ。まだそんなに仲良くなっていない人と一緒に長い時間、初めての舞台に挑戦するなんて恐ろしいって(笑)。でも、それを無事乗り越えたときの「経験値上がった感」が半端なくて。─例えば?/中川:体調をキープするために料理を覚えたり、コミュニケーションすることで、またさらに新しい出会いにつながったり。知らなかったことを覚えるのって、なんだかドラクエみたいじゃないですか?(笑) 人と出会って経験値が上がって、上がったからこそクリアできて。それを乗り越えたら、「今度はドラマ出演を獲得した!」みたいな。「あ、そっか。人生ってRPGじゃん?」って思えたら、かなり楽になりましたね。ゲームを作ってくださったクリエイターの皆さんには、そういう意味でも感謝しかないです。─東京オリンピックに向けて。/中川:先日、東京2020オリンピック、パラリンピックのマスコットデザイン審査に参加させていただいて。決まった案については、審査会議の中でもいろいろバトルはあったんですけど、今の日本を象徴するような、可愛くてシャープなカッコよさが詰まった案に決まってうれしかったですね。生まれたところからずっと見守れたというのも、一生の宝物だし誇りになるなと。キャラクターが着ぐるみになったりアニメになったりして、いろんなところで活躍してくれるのが楽しみです。それを観てから死にたい(笑)。─今気になっているクリエイター、話してみたい人は?/中川:いっぱいいますね。うーん……。作詞家、作曲家、アニメーション制作や、アーティストさんでジャケ写を自分で描いちゃう人。絵を描く人のお話を特に聞きたい。私が生きていく上で必要な栄養素の三本柱をあげるとしたら、絵を描くことがそこには絶対入ってくると思うので。尊敬する世界ですね。─最後に、中川さんにとってイラストを描くことの楽しさを教えてください。/中川:自分にとってイラストは、「ストレス発散」と「精神統一」なんですよね。逆に言えば、絵を描いているときって心身ともに元気な証。なんか、絵でも文でも、形に残すことって大切な気がします。心の整理整頓でもありますし。絵を載せたり、呟いたり。有名人だからとか関係なくやるべきだと思います。もちろん、誰かをディスったり、あまりにもネガティヴな表現でなければ、発信するってとっても素敵なこと。やればやるほどいい気がしますね。よし、私ももっと絵を描こうっと。』
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→『』
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●「リアル脱出ゲーム×劇場版ポケットモンスター『風の遊園地からの脱出』」開催記者発表
※平成ジャンプか!なーるほど・・・
※平成ジャンプか!なーるほど・・・
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→『』
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●山田五郎と中川翔子の『リミックスZ』 2018年7月8日(日)(25分)
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→『』
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→『』
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『タイム・ワン・ハーフ。すべての仕事を これまでの半分(ワン・ハーフ)で達成せよ。』 |
出展:「今すぐやる人が成功する!」(三笠書房) |
発言者:堀場雅夫(実業家 1924年12月1日~2015年7月14日) |
◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・
Amazon.co.jp 仕事ができる人できない人 単行本 堀場雅夫(著)
→『■商品説明:つい手に取りたくなるストレートすぎるほどのタイトルに舌を巻いた。コラムひとつは2分足らずで読めるので、日ごろ本を読まない人でも無理なく読める1冊だ。比喩も論旨も明確で、気をそらさない話の流れはエッセイやスピーチをまとめる際の参考にもなりそう。
このタイトルでビジネス書、となれば磐石な経営実績がなければ説得力を持たないが、著者は京大理学部時代に現・堀場製作所の前身を設立。ベンチャービジネスの草分け的存在でもある。「牛後よりも鶏口を目ざす人」「ズケズケものを言う人」「独断で仕事をする人」「ちょっとの成功では満足しない人」と、アグレッシブな人を“できる”人に、「石橋を叩いてわたる人」「敵が少ない人」「その場を丸く収めようとする人」など和を尊び対立を避けるタイプをバッサリと斬るのも過去の経験あってのこと。本書の中に「社員として伸びるかどうかの正念場」である三十代への警鐘が含まれている点も興味深い。体力も希望もあって、個人として最高に脂がのった時期であるはずの三十代に最近活力が見られない、という。その原因を「たえず競争にさらされ、ガムシャラに生き抜いてきた上司を見て、ほかにもっと楽な生き方があるのではないかと思っているあいだに三十代になったのではないか」と分析。「三十代の社員はうかうかしていると後輩に足をさらわれることになる」という著者の予見にギクリとしたら、ぜひ一読をお勧めする。(松浦恭子)
■登録情報:/単行本 237ページ /出版社 三笠書房 /言語 日本語 /ISBN-10: 4837918530 ISBN-13: 978-4837918530 /発売日 2000/09 /梱包サイズ 19.4 x 13.4 x 2.2 cm /おすすめ度 5つ星のうち 4.1 /■カスタマーレビュー:こぶたん 5つ星のうち5.0 「わかりやすい一冊です。」2002年12月9日・・・とてもわかりやすく書いてあり、さくさく読めるので、読み始めるとあっという間に時間がたってしまいます。この本の凄いところは、実力主義が浸透し、日本型経営が崩れてきたが、年功序列は崩れず、上司の顔を立てることも忘れては駄目だ、結局自分を評価するのは、上司だから、そのことも考えないといけないということが書いてあることです。経営者なのに、思い切ったことを書くなぁとおもいました。この本のあるところに、本音と建前を使い分けることが重要との一文がありましたが、この本は結構本音重視の本だと思います。就職活動を始められる際に、会社生活においてかなり参考になると思います。』
→『■商品説明:つい手に取りたくなるストレートすぎるほどのタイトルに舌を巻いた。コラムひとつは2分足らずで読めるので、日ごろ本を読まない人でも無理なく読める1冊だ。比喩も論旨も明確で、気をそらさない話の流れはエッセイやスピーチをまとめる際の参考にもなりそう。
このタイトルでビジネス書、となれば磐石な経営実績がなければ説得力を持たないが、著者は京大理学部時代に現・堀場製作所の前身を設立。ベンチャービジネスの草分け的存在でもある。「牛後よりも鶏口を目ざす人」「ズケズケものを言う人」「独断で仕事をする人」「ちょっとの成功では満足しない人」と、アグレッシブな人を“できる”人に、「石橋を叩いてわたる人」「敵が少ない人」「その場を丸く収めようとする人」など和を尊び対立を避けるタイプをバッサリと斬るのも過去の経験あってのこと。本書の中に「社員として伸びるかどうかの正念場」である三十代への警鐘が含まれている点も興味深い。体力も希望もあって、個人として最高に脂がのった時期であるはずの三十代に最近活力が見られない、という。その原因を「たえず競争にさらされ、ガムシャラに生き抜いてきた上司を見て、ほかにもっと楽な生き方があるのではないかと思っているあいだに三十代になったのではないか」と分析。「三十代の社員はうかうかしていると後輩に足をさらわれることになる」という著者の予見にギクリとしたら、ぜひ一読をお勧めする。(松浦恭子)
■登録情報:/単行本 237ページ /出版社 三笠書房 /言語 日本語 /ISBN-10: 4837918530 ISBN-13: 978-4837918530 /発売日 2000/09 /梱包サイズ 19.4 x 13.4 x 2.2 cm /おすすめ度 5つ星のうち 4.1 /■カスタマーレビュー:こぶたん 5つ星のうち5.0 「わかりやすい一冊です。」2002年12月9日・・・とてもわかりやすく書いてあり、さくさく読めるので、読み始めるとあっという間に時間がたってしまいます。この本の凄いところは、実力主義が浸透し、日本型経営が崩れてきたが、年功序列は崩れず、上司の顔を立てることも忘れては駄目だ、結局自分を評価するのは、上司だから、そのことも考えないといけないということが書いてあることです。経営者なのに、思い切ったことを書くなぁとおもいました。この本のあるところに、本音と建前を使い分けることが重要との一文がありましたが、この本は結構本音重視の本だと思います。就職活動を始められる際に、会社生活においてかなり参考になると思います。』
●堀場雅夫 ビッグインタビューズ 未来は自ら創るもの 2013/04/25 に公開
産経WEST 堀場製作所の創業者・堀場雅夫氏死去 90歳、肝細胞がんで
→『京都市に本社を置く分析・計測機器メーカー、堀場製作所の創業者で、戦後の「学生ベンチャー」の草分けとして知られ、同社最高顧問の堀場雅夫(ほりば・まさお)氏が14日、肝細胞がんのため死去した。90歳。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は長男で同社会長兼社長の厚(あつし)氏。復員後の昭和20(1945)年10月、京都帝国大(現京都大)理学部在学中に「堀場無線研究所」を創業し、計測器の開発を始めた。28年に堀場製作所を設立し社長に就任。長期的視野に立った研究開発で、自動車エンジンの排ガス測定装置では世界シェア約80%を占めるメーカーに育て上げた。/また、53年に当時としては奇抜な「おもしろおかしく」を社是に制定。同年に会長に退き、京都商工会議所副会頭や、京都市がベンチャー企業育成のために設置した「京都市ベンチャー企業目利き委員会」の委員長を務めるなど、企業経営の論客として活躍した。平成17(2005)年からは同社最高顧問として、講演などを精力的にこなしていた。』
→『京都市に本社を置く分析・計測機器メーカー、堀場製作所の創業者で、戦後の「学生ベンチャー」の草分けとして知られ、同社最高顧問の堀場雅夫(ほりば・まさお)氏が14日、肝細胞がんのため死去した。90歳。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は長男で同社会長兼社長の厚(あつし)氏。復員後の昭和20(1945)年10月、京都帝国大(現京都大)理学部在学中に「堀場無線研究所」を創業し、計測器の開発を始めた。28年に堀場製作所を設立し社長に就任。長期的視野に立った研究開発で、自動車エンジンの排ガス測定装置では世界シェア約80%を占めるメーカーに育て上げた。/また、53年に当時としては奇抜な「おもしろおかしく」を社是に制定。同年に会長に退き、京都商工会議所副会頭や、京都市がベンチャー企業育成のために設置した「京都市ベンチャー企業目利き委員会」の委員長を務めるなど、企業経営の論客として活躍した。平成17(2005)年からは同社最高顧問として、講演などを精力的にこなしていた。』
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