オリコンニュース 遠藤賢司さんが死去 70歳 「カレーライス」などヒット曲
→『胃がんで闘病中だったシンガー・ソングライターの遠藤賢司さんが、25日早朝都内の病院で亡くなった。70歳だった。同日、遠藤さんの公式サイトで訃報が伝えられた。遠藤さんは10月19日に大阪で開催予定だったライブを体調不良で中止し、振替公演の実施を目指していたが復帰はかなわなかった。/サイトでは「遠藤賢司は、一昨年より胃がんを患いましたが、闘病を続けながら音楽活動を続けてまいりました。新曲のレコーディングに向け体調を整えていましたが、10月23日に入院となり、24日に容態が急変し、25日早朝、都内の病院で亡くなりました。享年70才でした」と報告。「本人に代わって、長年、みなさまには遠藤賢司の音楽にご支援いただいたことに改めて感謝いたします。葬儀は本人の意向を尊重し家族だけで執り行い、年明けには、音楽葬を行う予定です」とし、詳細については「エンケンオフィシャルサイトで発表いたします。引き続き遠藤賢司の音楽をご支援賜りますよう心よりお願い申し上げます」と伝えた。
ボブ・ディランに触発されて音楽を始めた遠藤さんは、1960年代後半のフォークシーンで頭角を現し、1969年2月に「ほんとだよ/猫が眠ってる」でレコードデビュー。「カレーライス」「不滅の男」などが有名で、漫画家・浦沢直樹氏が原作で実写映画化もされた『20世紀少年』の主人公・ケンヂ(遠藤健児)のモデルにもなった。/昨年6月にスタッフがブログとフェイスブックで、がんを公表。その後も闘病しながらテレビ出演など活動を続け、10月19日には大阪・梅田クアトロでライブ『遠藤賢司ソロライブ“猫と僕と君”~関西編~』を開催予定だった。しかし、体調不良のため同5日にライブの中止を発表。「関西での振替公演を目標に、しばらくは治療に専念して体調を整えたいと思います」と公式サイトでコメントしていたが、25日には昏睡状態に陥っていると一部で報道されていた。 』
→『胃がんで闘病中だったシンガー・ソングライターの遠藤賢司さんが、25日早朝都内の病院で亡くなった。70歳だった。同日、遠藤さんの公式サイトで訃報が伝えられた。遠藤さんは10月19日に大阪で開催予定だったライブを体調不良で中止し、振替公演の実施を目指していたが復帰はかなわなかった。/サイトでは「遠藤賢司は、一昨年より胃がんを患いましたが、闘病を続けながら音楽活動を続けてまいりました。新曲のレコーディングに向け体調を整えていましたが、10月23日に入院となり、24日に容態が急変し、25日早朝、都内の病院で亡くなりました。享年70才でした」と報告。「本人に代わって、長年、みなさまには遠藤賢司の音楽にご支援いただいたことに改めて感謝いたします。葬儀は本人の意向を尊重し家族だけで執り行い、年明けには、音楽葬を行う予定です」とし、詳細については「エンケンオフィシャルサイトで発表いたします。引き続き遠藤賢司の音楽をご支援賜りますよう心よりお願い申し上げます」と伝えた。
ボブ・ディランに触発されて音楽を始めた遠藤さんは、1960年代後半のフォークシーンで頭角を現し、1969年2月に「ほんとだよ/猫が眠ってる」でレコードデビュー。「カレーライス」「不滅の男」などが有名で、漫画家・浦沢直樹氏が原作で実写映画化もされた『20世紀少年』の主人公・ケンヂ(遠藤健児)のモデルにもなった。/昨年6月にスタッフがブログとフェイスブックで、がんを公表。その後も闘病しながらテレビ出演など活動を続け、10月19日には大阪・梅田クアトロでライブ『遠藤賢司ソロライブ“猫と僕と君”~関西編~』を開催予定だった。しかし、体調不良のため同5日にライブの中止を発表。「関西での振替公演を目標に、しばらくは治療に専念して体調を整えたいと思います」と公式サイトでコメントしていたが、25日には昏睡状態に陥っていると一部で報道されていた。 』
※カッコいいオサーンですねえーー。稲垣吾郎が年取ったらこんな感じに
仕上がりそうな気も。。。
※「宇宙防衛軍」には伊福部昭さんへのリスペクトが詰まってる・・・。
ワタクシ事だが、成人式のゲストに来て歌ってくれたのを覚えている。
「宇宙防衛軍」やら、戸川純さんの「レーダーマン」なんかを、光線銃
片手に、嬉々としてステージ上で披露し、弾け回ってらした。姫路の不
良どものノリは最悪だったろうに・・。あの時はごめんなさい、エンケンさん。
アメブロ 2017年10月19日 大阪クアトロ10月19日演奏できなかった事への お詫び
→『今更、何を言っても言い訳だ。こんなはずではない、と、何度も何度も、ギターを担げず、こんなはずではない、と、何度も何度も、歌いたい!、と、優柔不断した挙句、演奏不可能と、しかも、布団の上で、決めさせて、いただきました。心底、から、本当に申し訳ありませんでした。しかし、身から出た錆、とは言え、これだけは、言わせていただきたい。久しぶりの関西で、力の限り、歌いたかった!デビューした時から、あの場所、この場所と、あの顔、この顔と、僕を支えてくれた。デモ、どうしょうもない事って在るんですね。悔しい!「イッ瞬間先は闇」「時は金なり」=貴方が命がけで稼いだ金で、僕の言音一致の純音楽への信頼込みで、優しさ=友情厚く、チケットを、購入してくれた。しかし、エンケンは、貴方の、その、エンケンの言音一致の純音楽への信頼と、優しさ=友情を、反故(ホゴ)にしてしまった。悔しい!シカシ、いつの日か、自身の為と、好ければ貴方の為に、言音一致の純音楽家エンケンを、演る。その時、それが、貴方にとって、少しでも、生命の糧と、なれるよう、頑張る!マズハ、一歩、一歩、心身と掛け合いながら、原初的ハァドパンクアルバム、【GOD SAVE THE BAKATIN】の、録音を、演る!本[言音一致の純音楽家 エンケン]仮題 を、創る。「無理しないで!」とは、言わないでね。誰より、エンケン自身の為なんだ。ト、やはり、偉そうで、甘ったれた、言い訳だらけの、詫び文と、なりましたが、ご迷惑という、一言では、トテモ言い切れないほどの、ご迷惑をおかけしました。そして、大阪クアトロと、東京クアトロと、エンケンのスタッフの皆さまを、含め、本当にすいませんでした!何より、大阪クアトロの、チケットを、買ってくださった皆様と、エンケンの言音一致の純音楽を信頼してくれる、日本中の皆さまに、感謝を込めて。これからも、生きるということは、貴方と同じく、言音一致の純音楽家!』
※良き人柄が伝わってくるッスねー。ミュージシャンや俳優の親しい人が最期を看取って
くれたようです・・・。
→『今更、何を言っても言い訳だ。こんなはずではない、と、何度も何度も、ギターを担げず、こんなはずではない、と、何度も何度も、歌いたい!、と、優柔不断した挙句、演奏不可能と、しかも、布団の上で、決めさせて、いただきました。心底、から、本当に申し訳ありませんでした。しかし、身から出た錆、とは言え、これだけは、言わせていただきたい。久しぶりの関西で、力の限り、歌いたかった!デビューした時から、あの場所、この場所と、あの顔、この顔と、僕を支えてくれた。デモ、どうしょうもない事って在るんですね。悔しい!「イッ瞬間先は闇」「時は金なり」=貴方が命がけで稼いだ金で、僕の言音一致の純音楽への信頼込みで、優しさ=友情厚く、チケットを、購入してくれた。しかし、エンケンは、貴方の、その、エンケンの言音一致の純音楽への信頼と、優しさ=友情を、反故(ホゴ)にしてしまった。悔しい!シカシ、いつの日か、自身の為と、好ければ貴方の為に、言音一致の純音楽家エンケンを、演る。その時、それが、貴方にとって、少しでも、生命の糧と、なれるよう、頑張る!マズハ、一歩、一歩、心身と掛け合いながら、原初的ハァドパンクアルバム、【GOD SAVE THE BAKATIN】の、録音を、演る!本[言音一致の純音楽家 エンケン]仮題 を、創る。「無理しないで!」とは、言わないでね。誰より、エンケン自身の為なんだ。ト、やはり、偉そうで、甘ったれた、言い訳だらけの、詫び文と、なりましたが、ご迷惑という、一言では、トテモ言い切れないほどの、ご迷惑をおかけしました。そして、大阪クアトロと、東京クアトロと、エンケンのスタッフの皆さまを、含め、本当にすいませんでした!何より、大阪クアトロの、チケットを、買ってくださった皆様と、エンケンの言音一致の純音楽を信頼してくれる、日本中の皆さまに、感謝を込めて。これからも、生きるということは、貴方と同じく、言音一致の純音楽家!』
※良き人柄が伝わってくるッスねー。ミュージシャンや俳優の親しい人が最期を看取って
くれたようです・・・。
AERA dot 盟友PANTAが語る「エンケン」という孤高のジャンル
→『亡くなった「エンケン」こと遠藤賢司さんのミュージシャン仲間であるPANTAさんは24日夜、遠藤ミチロウさん、鈴木慶一さんらとともに病室に駆けつけた。「エンケンは病気だけど頑張ってるなんて絶対に思われたくない男。“頑張れなんて言うんじゃないよ”という有名な歌詞があるくらい。だから俺も『がんばれ』とは言えなくて……」PANTAさんがエンケンの手を握り、「エンケン!PANTAもミチロウも慶一もここにいるぞ!」と声をかけると、少し呼吸に力が入ったように見えたという。長く交友のあったPANTAさんは「エンケンは孤高の人だった」と振り返る。「フォークの中でも異色、ロックの中でも異端。エンケン自身が一つのジャンルだった。自尊心が強く、売れ線の音づくりはしない。髪形も服装もステージングもばっちりキメて、様式美にこだわっていた」
病室からの帰路、遠藤ミチロウさんがこう言った。「エンケンさんには真ん中がないよね」ボソボソとささやくように歌っているか、のどが張り裂けそうなほど激しく叫んでいるか。中途半端な歌い方はしない。その落差が大きく、聴衆の感情を揺さぶった。PANTAさんも「確かにそうだ」と苦笑して見せたという。PANTAさんは今年1月、東京・渋谷クアトロであったエンケンのバースデーライブに参加した。「最高に盛り上がったステージだった。本当は神経質なのに、自分を『不滅の男』と言ってのけた。エンケンはどこまでも前向きだったな」(本誌 佐藤修史)』
→『亡くなった「エンケン」こと遠藤賢司さんのミュージシャン仲間であるPANTAさんは24日夜、遠藤ミチロウさん、鈴木慶一さんらとともに病室に駆けつけた。「エンケンは病気だけど頑張ってるなんて絶対に思われたくない男。“頑張れなんて言うんじゃないよ”という有名な歌詞があるくらい。だから俺も『がんばれ』とは言えなくて……」PANTAさんがエンケンの手を握り、「エンケン!PANTAもミチロウも慶一もここにいるぞ!」と声をかけると、少し呼吸に力が入ったように見えたという。長く交友のあったPANTAさんは「エンケンは孤高の人だった」と振り返る。「フォークの中でも異色、ロックの中でも異端。エンケン自身が一つのジャンルだった。自尊心が強く、売れ線の音づくりはしない。髪形も服装もステージングもばっちりキメて、様式美にこだわっていた」
病室からの帰路、遠藤ミチロウさんがこう言った。「エンケンさんには真ん中がないよね」ボソボソとささやくように歌っているか、のどが張り裂けそうなほど激しく叫んでいるか。中途半端な歌い方はしない。その落差が大きく、聴衆の感情を揺さぶった。PANTAさんも「確かにそうだ」と苦笑して見せたという。PANTAさんは今年1月、東京・渋谷クアトロであったエンケンのバースデーライブに参加した。「最高に盛り上がったステージだった。本当は神経質なのに、自分を『不滅の男』と言ってのけた。エンケンはどこまでも前向きだったな」(本誌 佐藤修史)』
●「病気なのに頑張ってるなんて最低、そんなこと言われたらほんとに死にたくなっちゃう」
「不滅の男 エンケン 対 日本武道館」上映イベントにて 20161029
「不滅の男 エンケン 対 日本武道館」上映イベントにて 20161029
デイリー 【芸能】エンケンの原点となった“あの曲”とは~遠藤賢司さんとスーダラ節と小林旭
→『日本のフォーク&ロックの礎を築いたレジェンドの1人で“エンケン”の愛称で知られたシンガー・ソングライターの遠藤賢司さんが10月25日、70歳で亡くなった。訃報を受け、2013年5月、宮藤官九郎監督の映画「中学生円山」に俳優として出演した際の単独インタビューから、音楽の原点となった曲を改めてご紹介したい。エンケンは熱く語った。「クレージーキャッツの『スーダラ節』がはやっていた中学3年の時、クラスで先生のために何かを捧げる“謝恩会”があったんです。僕はおとなしい生徒だったんだけど、教室の後ろにあったほうきを持ち、ギターを弾くマネをして歌いながら走り回ったら大受けしてね。翌朝の職員会議で『遠藤はおかしくなった』と問題になったって、後で言われましたけど(笑)」/“ほうきギター”を持って植木等になりきること。それが音楽表現の原体験だった。「スーダラ節に対して自分の中で『これだ!』と興奮するものがあったんでしょうね。なぜ、ギターも弾けないのに、ああやって走り出したのか、今につながるところがあるから不思議だと思います。その当時はまさか将来、自分で曲を作ってギターを弾いて歌っているなんて全く考えてもみなかったですけどね」
1969年のデビューからジャンルにとらわれず、“言音一致の純音楽”を掲げ、商業ベースに乗らずとも世代を超えたファンに支持されてきた。役者として自身の監督作に起用した宮藤もその1人。今年6月29日、結果的に最後の(有料の)ソロライブとなった渋谷クアトロ公演では、入口に宮藤から贈られた大きな花が飾られていた。この4年前のインタビューでは「スーダラ節」に続く音楽遍歴も語られた。ボブ・ディラン、ニール・ヤング、レッド・ツェッペリン、フー、ドアーズ、クラフトワーク、セックス・ピストルズ、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンなどと同列に、エンケンは小林旭にリスペクトをささげた。「小林旭さんの『さすらい』は名曲ですよ。夜がまた来る、思い出つれて…なんて詞がすごいです。俺の中で『こいつに負けたくない』っていうのがあって、年上の旭さんに“こいつ”なんて失礼ですけど、その“負けたくない”が俺の中で充満して音や言葉になって出てくるんです」「スーダラ節」や小林旭の「さすらい」…。大衆に愛された「歌」を少年時代に血肉としたことで、エンケンの“純音楽”は熟成されたのだと思った。(デイリースポーツ・北村泰介)』
→『日本のフォーク&ロックの礎を築いたレジェンドの1人で“エンケン”の愛称で知られたシンガー・ソングライターの遠藤賢司さんが10月25日、70歳で亡くなった。訃報を受け、2013年5月、宮藤官九郎監督の映画「中学生円山」に俳優として出演した際の単独インタビューから、音楽の原点となった曲を改めてご紹介したい。エンケンは熱く語った。「クレージーキャッツの『スーダラ節』がはやっていた中学3年の時、クラスで先生のために何かを捧げる“謝恩会”があったんです。僕はおとなしい生徒だったんだけど、教室の後ろにあったほうきを持ち、ギターを弾くマネをして歌いながら走り回ったら大受けしてね。翌朝の職員会議で『遠藤はおかしくなった』と問題になったって、後で言われましたけど(笑)」/“ほうきギター”を持って植木等になりきること。それが音楽表現の原体験だった。「スーダラ節に対して自分の中で『これだ!』と興奮するものがあったんでしょうね。なぜ、ギターも弾けないのに、ああやって走り出したのか、今につながるところがあるから不思議だと思います。その当時はまさか将来、自分で曲を作ってギターを弾いて歌っているなんて全く考えてもみなかったですけどね」
1969年のデビューからジャンルにとらわれず、“言音一致の純音楽”を掲げ、商業ベースに乗らずとも世代を超えたファンに支持されてきた。役者として自身の監督作に起用した宮藤もその1人。今年6月29日、結果的に最後の(有料の)ソロライブとなった渋谷クアトロ公演では、入口に宮藤から贈られた大きな花が飾られていた。この4年前のインタビューでは「スーダラ節」に続く音楽遍歴も語られた。ボブ・ディラン、ニール・ヤング、レッド・ツェッペリン、フー、ドアーズ、クラフトワーク、セックス・ピストルズ、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンなどと同列に、エンケンは小林旭にリスペクトをささげた。「小林旭さんの『さすらい』は名曲ですよ。夜がまた来る、思い出つれて…なんて詞がすごいです。俺の中で『こいつに負けたくない』っていうのがあって、年上の旭さんに“こいつ”なんて失礼ですけど、その“負けたくない”が俺の中で充満して音や言葉になって出てくるんです」「スーダラ節」や小林旭の「さすらい」…。大衆に愛された「歌」を少年時代に血肉としたことで、エンケンの“純音楽”は熟成されたのだと思った。(デイリースポーツ・北村泰介)』
◎佐野史郎さんの追悼文・・・は相当長いので省略版で・・・。
橘井堂 遠藤賢司さん・・・不滅の男、亡くなってなお生き続ける純音楽!!
→『千秋楽を22日に迎え、一息ついていたところ、24日に危篤との連絡が入り、すぐに病院へ。昏睡状態だったけど、必死に戦っていらして、声をかけると、わかっているようでした。親しい仲間たちが何人も駆けつけ、みんなにとって、どれほどエンケンさんが大切な人なのか、あらためてわかりました。音楽をかけようとエンケンさんのラジカセを取りに行っていたところだったので、僕のスマホに入っているエンケンさんの曲を耳元で流したら、一緒に歌い出したかのように声を出し続けていました。とっさの選曲、一瞬迷ったけれど「満足できるかな」 を全曲かけました。ラジカセが到着して、「夢よ叫べ」のCDや「けんちゃんのピアノ画(スケッチ)」が流れました。翌日、僕はテレビ番組の収録がありましたが、病院がスタジオから近かったこともあり、病院に寄ってから現場に行こうと思っていたところ、移動中に訃報が届きました。霊安室のエンケンさんはとても穏やかなお顔でした。親しい人たちを年を重ねるごとに何人も見送ってきたけれど、亡くなってすぐには、まだ、意識があるに違いないと確信しているので、耳元でお礼を言いました。(佐野さんの濃い~~ぃ思い出話はオールカットでw)
エンケンさんのライブを最後に観たのは、今年の6月、渋谷クアトロで。浦沢直樹さんと並んで一緒に観ました。浦沢さんの「20世紀少年」の主役は遠藤ケンヂ🎶 毎回、今回がこれまでで最高‼︎と思わされますが、とてもこれで亡くなるなんて思えない、ホントに凄まじい迫力のライブでした。文字通り、命がけのステージを目の当たりにし、アンコールでの「夢よ叫べ」はもちろん、新曲「GOD SAVE THE BAKATIN」にも圧倒されました🎶 エンケンさんの音楽には、泣かされ、励まされ、笑いが止まらず…永遠の史上最長寿のロックンローラーです‼︎ 若松孝二監督とエンケンさんと一緒に飲んだことも一度だけありました。いなくなっても、その眼差し、存在がなくなることはないので、これからもエンケンさんの純音楽を聴き続け、「ちゃんとやれ!!」と言われ、自分の仕事に取り組み続けたいと思います。エンケンさん・・・遠藤賢司様・・・今後とも、よろしくお願いいたします。』
橘井堂 遠藤賢司さん・・・不滅の男、亡くなってなお生き続ける純音楽!!
→『千秋楽を22日に迎え、一息ついていたところ、24日に危篤との連絡が入り、すぐに病院へ。昏睡状態だったけど、必死に戦っていらして、声をかけると、わかっているようでした。親しい仲間たちが何人も駆けつけ、みんなにとって、どれほどエンケンさんが大切な人なのか、あらためてわかりました。音楽をかけようとエンケンさんのラジカセを取りに行っていたところだったので、僕のスマホに入っているエンケンさんの曲を耳元で流したら、一緒に歌い出したかのように声を出し続けていました。とっさの選曲、一瞬迷ったけれど「満足できるかな」 を全曲かけました。ラジカセが到着して、「夢よ叫べ」のCDや「けんちゃんのピアノ画(スケッチ)」が流れました。翌日、僕はテレビ番組の収録がありましたが、病院がスタジオから近かったこともあり、病院に寄ってから現場に行こうと思っていたところ、移動中に訃報が届きました。霊安室のエンケンさんはとても穏やかなお顔でした。親しい人たちを年を重ねるごとに何人も見送ってきたけれど、亡くなってすぐには、まだ、意識があるに違いないと確信しているので、耳元でお礼を言いました。(佐野さんの濃い~~ぃ思い出話はオールカットでw)
エンケンさんのライブを最後に観たのは、今年の6月、渋谷クアトロで。浦沢直樹さんと並んで一緒に観ました。浦沢さんの「20世紀少年」の主役は遠藤ケンヂ🎶 毎回、今回がこれまでで最高‼︎と思わされますが、とてもこれで亡くなるなんて思えない、ホントに凄まじい迫力のライブでした。文字通り、命がけのステージを目の当たりにし、アンコールでの「夢よ叫べ」はもちろん、新曲「GOD SAVE THE BAKATIN」にも圧倒されました🎶 エンケンさんの音楽には、泣かされ、励まされ、笑いが止まらず…永遠の史上最長寿のロックンローラーです‼︎ 若松孝二監督とエンケンさんと一緒に飲んだことも一度だけありました。いなくなっても、その眼差し、存在がなくなることはないので、これからもエンケンさんの純音楽を聴き続け、「ちゃんとやれ!!」と言われ、自分の仕事に取り組み続けたいと思います。エンケンさん・・・遠藤賢司様・・・今後とも、よろしくお願いいたします。』
☆同じエンケンという愛称の遠藤憲一さんからもメッセージが・・・
☆ではでは、動画攻勢で参りませう!!
●ジャイアントロボ
※このカッケー曲をエンケンさんが歌っていたとはっ!!ビビビーックリ。
※このカッケー曲をエンケンさんが歌っていたとはっ!!ビビビーックリ。
●映画「中学生円山」予告編
※クドカン脚本、主演草なぎ剛の映画にも、徘徊老人の役で出演した♪
●輪島の瞳
※最高のプロレス応援ソング!!
※最高のプロレス応援ソング!!
●44年目のカレーライス
※「カレーライス」は、オーケンのカヴァーで一番たくさん聴いているヨー。
この動画はかなりキますねーーー。
※「カレーライス」は、オーケンのカヴァーで一番たくさん聴いているヨー。
この動画はかなりキますねーーー。
◎さて、カラオケで「カレーライス」歌いながら、ネカフェのカレーメニ
ューでも食いましょっかねえーーー。エンケンさん、本当に長い間、おつ
カレーさまですた!失敬!!
ューでも食いましょっかねえーーー。エンケンさん、本当に長い間、おつ
カレーさまですた!失敬!!
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【その他、出川のつぶやき・・・「」「」「」】
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◎関連書籍、ニュース、名言など!
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