eiga.com 作品情報 『ニッポンの嘘~』
本日、テアトル梅田で鑑賞してきたー・・・って書いてて今気付いたっ!この度、テアトル・グル
ープってことで、シネ・リーブルの会員割引が使えるようになっていたのを、コロ~ッと失念して
おった!しかも前回、無料券も貰っていたのだった!ワッチャー、ただで観れたのにー。ミスッタナコリャァ~
■解説:戦後日本を見つめ続けてきた報道写真家・福島菊次郎の2009年から11年の3年間に密着したドキュメンタリー。敗戦直後の広島で被爆者家族の苦悩を10年間にわたり撮り続けた福島は、それ以降も三里塚闘争、東大安田講堂、70年安保、あさま山荘事件、水俣、祝島など時代を象徴する数々の事件を25万枚以上の写真に収めてきた。やがて保守化する日本社会やメディアと決別した福島は、無人島での自給自足生活を経て、愛犬との静かな暮らしを送っていた。そして、胃がんの切除手術を受け自身の最期を自覚し始めた11年、東日本大震災が発生。再びカメラを手にした福島は、原発事故が起きた福島県へと向かう。
■スタッフ:/監督 長谷川三郎 /プロデューサー 橋本佳子 山崎裕 /撮影 山崎裕 /録音 富野舞 /編集 吉岡雅春 /朗読 大杉漣 ■キャスト:福島菊次郎
■作品データ:/製作年 2012年 /製作国 日本 /配給 ビターズ・エンド /上映時間 114分
オフィシャルサイト
eiga.comニュース 長谷川三郎監督、90歳の報道写真家に最敬礼
→ 『3年間に及ぶ撮影を経て、「かなわないなと思ったところは、取材した人をひとりひとり克明に覚えていること。そのすべての人の思いを背負い込み、愚直なまでに貫いて生きている」と最敬礼。「たくさんの写真を残されているけれど、それはいったい何なのかと尋ねると『ニッポンの嘘』という言葉が返ってきた。この言葉がこれほどリアルに感じられる時代はない。どうやって声をあげたらいいか分からない若者は、この国と戦ってきた菊次郎さんに出会ってほしい」と語りかけた。/数々の映画で撮影を務めてきた山崎は、「この企画をテレビでやるとしたら色んな規制を受ける。部分的には作れても、総体を伝えることはまず難しい。映画館でドキュメンタリーを見るというのが浸透してきているので、上映用の作品にすれば可能性があると思った」と真意を明かした。そして、被写体を映すとは、「その世界を丸ごと引き受ける。全て撮りこぼさずカメラを回し続けた。その場に立ち会わせてくれたこと、それがこの作品の出発点だった」と振り返る』
※シネ・リーブル神戸で観た予告編のインパクトが大きくって、是非大画面で観ようと決めていた。■スタッフ:/監督 長谷川三郎 /プロデューサー 橋本佳子 山崎裕 /撮影 山崎裕 /録音 富野舞 /編集 吉岡雅春 /朗読 大杉漣 ■キャスト:福島菊次郎
■作品データ:/製作年 2012年 /製作国 日本 /配給 ビターズ・エンド /上映時間 114分
オフィシャルサイト
eiga.comニュース 長谷川三郎監督、90歳の報道写真家に最敬礼
→ 『3年間に及ぶ撮影を経て、「かなわないなと思ったところは、取材した人をひとりひとり克明に覚えていること。そのすべての人の思いを背負い込み、愚直なまでに貫いて生きている」と最敬礼。「たくさんの写真を残されているけれど、それはいったい何なのかと尋ねると『ニッポンの嘘』という言葉が返ってきた。この言葉がこれほどリアルに感じられる時代はない。どうやって声をあげたらいいか分からない若者は、この国と戦ってきた菊次郎さんに出会ってほしい」と語りかけた。/数々の映画で撮影を務めてきた山崎は、「この企画をテレビでやるとしたら色んな規制を受ける。部分的には作れても、総体を伝えることはまず難しい。映画館でドキュメンタリーを見るというのが浸透してきているので、上映用の作品にすれば可能性があると思った」と真意を明かした。そして、被写体を映すとは、「その世界を丸ごと引き受ける。全て撮りこぼさずカメラを回し続けた。その場に立ち会わせてくれたこと、それがこの作品の出発点だった」と振り返る』
本日、テアトル梅田で鑑賞してきたー・・・って書いてて今気付いたっ!この度、テアトル・グル
ープってことで、シネ・リーブルの会員割引が使えるようになっていたのを、コロ~ッと失念して
おった!しかも前回、無料券も貰っていたのだった!ワッチャー、ただで観れたのにー。ミスッタナコリャァ~
●予告編
※どうですー?ガッツーンとくるものがありませんかい?90歳の爺さんがこんなに頑張ってるんだ、
若者も中年ももっともっと頑張れよ日本人!(*´`ω´)/そんな気にさせられる映画でした、ハイ・・・_
※どうですー?ガッツーンとくるものがありませんかい?90歳の爺さんがこんなに頑張ってるんだ、
若者も中年ももっともっと頑張れよ日本人!(*´`ω´)/そんな気にさせられる映画でした、ハイ・・・_
Wikipedia 福島菊次郎
原爆、政治・軍事問題、学生運動、公害・福祉問題などをライフワークとし、「ピカドン」など17回の個展を開き12冊の写真集がある。中近東、アラブ、ソビエト連邦などに長期にわたる取材もこなした。
作品は、『中央公論』、『文藝春秋』、『朝日ジャーナル』などの総合雑誌グラビアで約3300点が発表されている。また、「写真で見る戦争責任展」などの写真展を全国510会場で開催した。
1982年、自給自足の生活を目指し瀬戸内海の無人島に入植したが、高齢に伴う病気のため、現在、山口県柳井市在住。信条は 「余命はあと1年 生きたらあともう1年」
原爆、政治・軍事問題、学生運動、公害・福祉問題などをライフワークとし、「ピカドン」など17回の個展を開き12冊の写真集がある。中近東、アラブ、ソビエト連邦などに長期にわたる取材もこなした。
作品は、『中央公論』、『文藝春秋』、『朝日ジャーナル』などの総合雑誌グラビアで約3300点が発表されている。また、「写真で見る戦争責任展」などの写真展を全国510会場で開催した。
1982年、自給自足の生活を目指し瀬戸内海の無人島に入植したが、高齢に伴う病気のため、現在、山口県柳井市在住。信条は 「余命はあと1年 生きたらあともう1年」
ウォーカープラスニュース 格好良すぎる老武者の生き様!
→ 『撮影中に起こった3.11の東日本大震災。原発事故が起きた後、「フクシマがヒロシマに重なる」と言った福島の言葉が監督は忘れられないそうだ。「あの事故はとても大きなもので、自分に一体何ができるのかってことを、誰もが考えました。それで、改めて菊次郎さんの写真を見た時、苦しみが隠されていくってのは、こういうことなんだなと実感したんです。またこういうことが起きるのかもしれないと思い、ぞっとしました」/その時、改めて本作を撮る使命感を強く感じたという。「菊次郎さんが原発問題などにどう向き合ってきたのかを考えながら、もう一度、彼の写真を見つめ直したんです。その時、このことは僕たちの世代に投げ返さないといけないなと痛感しました。彼が追ってきた広島から始まった戦後、そして今回の原発事故の現実を、悔しさを持って受け止めていく福島さんの姿を見ながら、僕たちがそのことを引き継いでいかなければと思ったんです」
骨太な内容の本作だが、このドキュメンタリーが秀逸なのは、人間・福島菊次郎の魅力をも浮き彫りにした点だ。福島は、男手一つで3人の子供を育て上げた父親でもある。危険と隣り合わせの仕事柄、暴漢に襲われたり、家を放火されたこともあった。自宅が燃える中、家からネガを持ち出したのが、彼の愛娘だったというエピソードにも泣ける』
※過去の写真を紹介しながらの“裏日本史”的パートと、菊次郎さんという魅力的な人物の“人生史”的
パートの、バランス感覚が実にお見事だった。特に無人島での奥さんとの暮らし、そして別れの一連の流
れは、緊迫したドラマ性を醸し出し、一時たりとも目が離せなかったワー
→ 『撮影中に起こった3.11の東日本大震災。原発事故が起きた後、「フクシマがヒロシマに重なる」と言った福島の言葉が監督は忘れられないそうだ。「あの事故はとても大きなもので、自分に一体何ができるのかってことを、誰もが考えました。それで、改めて菊次郎さんの写真を見た時、苦しみが隠されていくってのは、こういうことなんだなと実感したんです。またこういうことが起きるのかもしれないと思い、ぞっとしました」/その時、改めて本作を撮る使命感を強く感じたという。「菊次郎さんが原発問題などにどう向き合ってきたのかを考えながら、もう一度、彼の写真を見つめ直したんです。その時、このことは僕たちの世代に投げ返さないといけないなと痛感しました。彼が追ってきた広島から始まった戦後、そして今回の原発事故の現実を、悔しさを持って受け止めていく福島さんの姿を見ながら、僕たちがそのことを引き継いでいかなければと思ったんです」
骨太な内容の本作だが、このドキュメンタリーが秀逸なのは、人間・福島菊次郎の魅力をも浮き彫りにした点だ。福島は、男手一つで3人の子供を育て上げた父親でもある。危険と隣り合わせの仕事柄、暴漢に襲われたり、家を放火されたこともあった。自宅が燃える中、家からネガを持ち出したのが、彼の愛娘だったというエピソードにも泣ける』
※過去の写真を紹介しながらの“裏日本史”的パートと、菊次郎さんという魅力的な人物の“人生史”的
パートの、バランス感覚が実にお見事だった。特に無人島での奥さんとの暮らし、そして別れの一連の流
れは、緊迫したドラマ性を醸し出し、一時たりとも目が離せなかったワー
eiga.com インタビュー 福島菊次郎
→ 『「戦時中も大本営の嘘、戦後も政治の嘘、日本は嘘のかたまり。子どもが自殺した時も教師や校長、教育委員会に真実を感じる人は誰もいない。本当のことを言わなくなった国は恐ろしい。我々は政治に対して変幻自在な態度、考え方、やり方を持つべき。嘘っぱちの政治に対して、行儀よくしたら、国の思うつぼ」と、報道が相次ぐ子どものいじめ問題にも言及し、教育委員会の公選制復活を期待しているという』(中略 さらに続く・・・↓)
『今回被写体側にまわった感想を聞くと「恥ずかしかった。写真に撮られるのが大嫌いなんです(笑)。いつも自分が傍若無人に撮っているくせに、人間って勝手なもの。若ければいいんですがこんなにしなびちゃっているから」と冗談めかす。そして、「僕が人生を賭けて写真家としてシャッターを押し続けた時代をこういう形でまとめて見るのは初めてなので、非常に感慨深かった。戦後時代に対してひとつの役割が果たせたんだなと、幾ばくかの満足感をおぼえました」と笑顔を見せた』
※日本という国を信じず、家族の世話にもならず、孤高に生きる大写真家のお供は愛犬ロク・・・♪
→ 『「戦時中も大本営の嘘、戦後も政治の嘘、日本は嘘のかたまり。子どもが自殺した時も教師や校長、教育委員会に真実を感じる人は誰もいない。本当のことを言わなくなった国は恐ろしい。我々は政治に対して変幻自在な態度、考え方、やり方を持つべき。嘘っぱちの政治に対して、行儀よくしたら、国の思うつぼ」と、報道が相次ぐ子どものいじめ問題にも言及し、教育委員会の公選制復活を期待しているという』(中略 さらに続く・・・↓)
『今回被写体側にまわった感想を聞くと「恥ずかしかった。写真に撮られるのが大嫌いなんです(笑)。いつも自分が傍若無人に撮っているくせに、人間って勝手なもの。若ければいいんですがこんなにしなびちゃっているから」と冗談めかす。そして、「僕が人生を賭けて写真家としてシャッターを押し続けた時代をこういう形でまとめて見るのは初めてなので、非常に感慨深かった。戦後時代に対してひとつの役割が果たせたんだなと、幾ばくかの満足感をおぼえました」と笑顔を見せた』
※日本という国を信じず、家族の世話にもならず、孤高に生きる大写真家のお供は愛犬ロク・・・♪
信濃毎日新聞2007年3月5日掲載 『カメラを武器として』
・・・四四(唱和十九)年四月に召集され、広島西部第一〇部隊輜重(しちょう)部隊に入隊した
福島さんは、馬に蹴られ骨折し、そのおかげで死を免れる。入院中に沖縄へ向かった所属部隊
の輸送船は、米軍の攻撃を受けて沈んだ。沖縄戦終結後の二度目の召集では、原爆が投下さ
れる六日前、広島から貨物列車で宮崎の海岸に送られた。グラマンの空襲に脅えながら、米軍
上陸に備え、爆雷を抱えて戦車に飛び込む自爆訓練に明け暮れていたとき、広島に原爆が落と
され、原隊は全滅した。わずか「六日」が生死の運命を分けた。
・・・四四(唱和十九)年四月に召集され、広島西部第一〇部隊輜重(しちょう)部隊に入隊した
福島さんは、馬に蹴られ骨折し、そのおかげで死を免れる。入院中に沖縄へ向かった所属部隊
の輸送船は、米軍の攻撃を受けて沈んだ。沖縄戦終結後の二度目の召集では、原爆が投下さ
れる六日前、広島から貨物列車で宮崎の海岸に送られた。グラマンの空襲に脅えながら、米軍
上陸に備え、爆雷を抱えて戦車に飛び込む自爆訓練に明け暮れていたとき、広島に原爆が落と
され、原隊は全滅した。わずか「六日」が生死の運命を分けた。
「同級生の半分近くが戦死した。命は天皇陛下からいただいたものだから、天皇陛下にお返しし
なければいけないという固定観念があった。戦争で死ぬことと、敵を殺すしか考えなかった狂気
の青年時代だった」と福島さんは振り返る。
なければいけないという固定観念があった。戦争で死ぬことと、敵を殺すしか考えなかった狂気
の青年時代だった」と福島さんは振り返る。
小学生のとき、中国人五〇人は殺さないと、と思っていたという。「仲の良かった同級生は
上海戦、南京戦を戦い残虐行為をやった。もし戦争に行っていたら、僕も相当悪いことをした
だろう。戦争に行けば死ぬのはわかっていたから。戦後は、ほおかむりして反戦平和を唱えた
と思う」
上海戦、南京戦を戦い残虐行為をやった。もし戦争に行っていたら、僕も相当悪いことをした
だろう。戦争に行けば死ぬのはわかっていたから。戦後は、ほおかむりして反戦平和を唱えた
と思う」
復員後、福島さんは郷里で時計店を営みながら広島に通い、行政に見捨てられた被爆者の
苦しみを撮り続けた。最初の写真集『ピカドン』を出版したのは六一年のことだった(ココまで引用)
苦しみを撮り続けた。最初の写真集『ピカドン』を出版したのは六一年のことだった(ココまで引用)
山本宗補の雑記帳
→井上ひさしさんが書いた、福島菊次郎さんの人物ルポより引用~
→井上ひさしさんが書いた、福島菊次郎さんの人物ルポより引用~
「福島氏が豪(えら)いのは、外出すると尾行がつくことである。つまり家庭では優しい父親である氏が、いったん玄関の戸をあけて足を一歩外に踏み出すと、体制側の要注意人物になってしまうわけだ」 |
今日のおもな出来事
今日は何の日?●交通信号の日・・・1931(昭和6)年のこの日、銀座の尾張町交差点(銀座4丁目交差点)や京橋
交差点などをはじめ、34カ所の市電交差点に、日本初の三色灯の自動信号機が設置されました
交差点などをはじめ、34カ所の市電交差点に、日本初の三色灯の自動信号機が設置されました
●NHK創立記念日・・・1926(大正15)年、社団法人日本放送協会(NHK)が設立されました
●蚊の日・・・1897(明治30)年、イギリスの細菌学者ロナルド・ロスが、羽斑蚊類の蚊の胃の中からマラリ
アの原虫を発見しました
アの原虫を発見しました
・1124年・・・藤原清衡が奥州平泉に中尊寺金色堂を建立
・1842年・・・滝沢馬琴が長篇小説『南総里見八犬伝』98巻を完成。完成まで28年
・1953年・・・ソ連が水爆実験の成功を発表
・1842年・・・滝沢馬琴が長篇小説『南総里見八犬伝』98巻を完成。完成まで28年
・1953年・・・ソ連が水爆実験の成功を発表
★今日生まれの有名人
1934年 司葉子(俳優)
1955年 アグネス・チャン(歌手)
1972年 梅宮アンナ(タレント)
1955年 アグネス・チャン(歌手)
1972年 梅宮アンナ(タレント)